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日 露 戦 争 (世界史的意義)

よしのり Home
TOSS SANJO/小林 義典

欧米列強によるアジア支配が進められた時代。
不凍港を求めるロシアは清や朝鮮を侵略し,日本攻略のための準備を着々と整えていた。
 当時のロシアの国力は日本の10倍。兵力も10倍。
戦って勝てる相手ではないが,日本は国としての独立を守るために,敢えて立ち上がる。
当時,日露戦争における日本の勝利は世界の人々を驚嘆させた。
欧米列強による植民地支配の歴史にストップをかけた日本。
世界史の枠組みを変えた史実を子供達に伝えたい。

 

「日露戦争(旅順攻略戦)」の授業サイト    「日露戦争(日本海大海戦)」の授業サイト    「日露戦争(日亜交流)」の授業サイト

Webワーク(4.1MB)


(●風刺絵「日本とロシア」提示)

【指示】今から100年程前の様子を描いた絵です。
    この絵を見て,分かったこと,気付いたこと,思ったことなど,何でもいいです,
    ノートに書きなさい。箇条書きです。(指名なし発表)

  「アメリカの国旗の帽子をかぶっている人が居ます。」
  「大きな人と小さな人がプロレスをしています。」
  「覗き見をしている人がいます。」
  「リングの床に世界地図みたいなものが描いてあります。」
  「観客がにこにこしています。楽しんでいます。」
  「色々な国の観客が居ます。」

【説明】リングの上の小男は日本を表しています。大男はロシアです。

【発問】日本が小男に描いてあるのは何故でしょうか。(列指名)

  「国の大きさが違うからです。」
  「軍隊の強さが違うからです。」
  「ロシア人の方が体格がいいからです。」

(●資料「日本とロシアの国力差」提示)

【説明】当時の日本とロシアを比べると,国の予算も,軍隊の規模も,全然比べものになりませんでした。

【発問】たくさんの国が見物しています。
    見物しながらどんなことを言っていると思いますか。ノートに書いてごらんなさい。

  「どちらが勝つか賭をしようと言っていると思います。」
  「日本はどんな負け方をするのだろうと言っていると思います。」

【説明】日本とロシアの関係に,当時世界中が注目していました。

(●絵「各国の軍隊」提示)

【説明】当時,文明国と呼ばれる国は皆強い軍隊をもっていました。

(●「世界地図」提示)

【発問】文明国と呼ばれた主な国々です。
    「ロシア」「アメリカ」「フランス」「イタリア」「ドイツ」「イギリス」「オランダ」

【説明】100年程前。これらの国々は今よりもずっと広い領土を持っていました。

(●動画「19世紀末〜20世紀初頭の欧米植民地支配図」提示)

【説明】当時の世界地図です。アフリカやアジア等の国々は,当時このように文明国に支配されていました。
    未だ支配されていない国々も,いつ攻め込まれるかと恐れていました。

【発問】一番広い領土を持っていたのはどこの国ですか。

  「ロシアです。」

【説明】ロシアはアジアへ領土を広げていました。

【発問】日本はこの状況をどう思っていたでしょう。(列指名)

  「いつ植民地にされるか分からず不安だったと思います。」
  「このままでは,日本も他の国と同じように外国から支配されるようになると思ったと思います。」

(●テキスト「日露戦争」提示)

【説明】明治37年,日本はロシアとの戦争を始めます。
    日露戦争と言います。言ってみましょう。さんはい。(日露戦争)

(●画像「旅順攻略戦」提示)

【説明】当時,世界最強と言われたロシアの陸軍。そのロシア軍がアジアに建設した要塞です。
    日本軍はこの要塞の攻撃を半年間続けました。そして,漸く勝つことが出来ました。
    司令官は乃木大将です。

(●画像「日本海大海戦」提示)

【説明】日本海にやって来たロシアのバルチック艦隊です。
    日本軍は戦闘に備え厳しい訓練を繰り返しました。
    その結果,日本は世界の海戦史上初と言われる完璧な勝利を収めます。
    司令官は東郷大将でした。

【発問】勝った日本を,世界はどう思ったでしょう。(列指名)

  「小さい国なのに,大きな国に勝って凄いと思われたと思います。」
  「世界中が日本を褒めたと思います。」

(●写真「東郷ビール」提示)

【説明】「東郷ビール」です。フィンランドで作られました。
    当時,フィンランドはロシアに支配されていました。
    ですから,日本がロシアに勝ったのを聞いて,大喜びしたのです。

(●写真「東郷通り」提示)

【説明】トルコのイスタンブールには,「東郷通り」という道が出来ました。
    「乃木通り」「児玉通り」もあり,今も残っています。
    東郷や乃木という名前を持つトルコ人も多いそうです。

(●写真「ネルー」と「ネルーの言葉」提示)  

【説明】後にインドの首相となったネルーは次のように述べました。
    「日本はあれほど強大なヨーロッパの国に勝った。
     インドも同じ事が出来る筈だ。
     日本の勝利はアジアの人々の心を救った。」

(●写真「アジアの独立を目指す指導者肖像」提示)

【説明】日露戦争の後,中国・ビルマ・ベトナム・インドなどから留学生がどんどん日本にやって来ました。
    西洋の国からの独立を目指す人達です。日本から学ぼうと考えたのです。

【指示】明日は,日露戦争で日本人がどのように戦ったかを見ていきます。 
    今日のお勉強の感想を書いておきなさい。       


〈参考文献〉
◆安達弘『人物学習でつくる歴史授業』明治図書
◆上原卓『東郷平八郎』明治図書
◆自由主義史観研究会『近現代史の授業改革2』明治図書
◆明治百年記念出版『東郷元帥と三笠』
◆三笠保存会『記念鑑みかさ』
◆三笠保存会『日本海海戦の世界史的意義』
◆土山廣端『東郷平八郎小伝〜至誠の栄光〜』東郷会
◆名越二荒之助『世界に開かれた昭和の戦争記念館 第4巻 大東亜戦争その後』展転社
◆日本を守る国民会議『欧米植民地支配の世界史的展開と大東亜戦争』
◆『新しい歴史教科書』扶桑社
◆平塚柾緒『日露戦争』河出書房新社

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