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日 露 戦 争 (アルゼンチンとの交流)


よしのり Home
TOSS SANJO/小林 義典
アルゼンチンは,親日国家である。
明治31年,日亜で初めて結んだ修好通商航海条約は,
平等条約であった。
アルゼンチンが日本に深い理解を示していた事は,
日本海大海戦のある一こまにも顕れている。
平成11年に初めて明らかにされた真相を紹介し乍ら,
当時の日本及び日本人が如何に評価されていたかを子供達に伝える。

 

「日露戦争に今,何を学ぶか』と題して,平成16年に日本会議熊本で行われた占部賢志氏の講演記録の一部を切り取り授業書にした。
 PCの画像をプロジェクタで投影し,子供達に提示する。日本海大海戦の授業後に行う。

「日露戦争(世界史的意義)」の授業サイト    「日露戦争(旅順攻略戦)」の授業サイト    「日露戦争(日本海大海戦)」の授業サイト   

Webワーク(1.88MB)


(●画像「日本海大海戦」提示)      * ●はクリックのタイミング

【説明】日露戦争です。

【発問】日本が戦ったのは何処の国ですか。

  「ロシアです。」

【説明】●日本海海戦。日本は,ロシアのバルチック艦隊と戦いました。

【発問】日本の連合艦隊の司令長官は誰でしたか。

  「東郷平八郎です。」

(●「丁字ターン」提示)

【説明】東郷平八郎が乗っていたのは,一番先頭の軍艦「三笠」です。
    バルチック艦隊の進路を塞ぐような形で進み,突然左側に回転し始めました。
    今日は,この場面を詳しく見ていきます。

【発問】日本の戦隊が回転を始めました。
    バルチック艦隊から見ると、これは攻撃し易かったでしょうか。
    攻撃し難かったでしょうか。(挙手させ理由も言わせる。)

  「狙い易いです。回転している間,船はスピードが出せないからです。」
  「狙い難いです。回転した後,どちらの方角に進むか予想出来ないからです。」

【説明】回転している間,軍艦が止まっているように見えます。
    ですから,砲撃する側としては照準が合わせ易かったのです。
    実際,旗艦「三笠」は,夥しい量の弾を浴びました。

【発問】(第一戦隊を示し)この戦隊の中で,一番弾を浴びやすかったのは,何番目の鑑ですか。

  「一番後ろの艦です。」

【説明】一番後ろの鑑ですね。だんだん照準が合ってきますから。
    ●この艦は「日進」と言いました。
    司馬遼太郎の「坂の上の雲」に,「日進」が弾を受ける様子が詳しく書いてあるので紹介します。

 六番艦の日進の状況もすさまじかった。
 この艦は殿艦だったために,三笠に次ぐ程の砲弾量を浴びた。
 海戦三十分後に十二インチ砲弾が飛んできて,前部主砲の砲塔に命中したのである。
このため右側の砲身は吹っ飛んで海中に落ち,断片が四方に散ってその一部は艦橋にいた
参謀松井健吉中佐の胴から下をうばって即死させ,さらに鉄片群は上甲板,中甲板,下甲板
を襲い,十七人を死傷させた。
 そのあとさらに九インチ砲弾が,すでに廃墟になっている前部主砲の砲塔に落下して大爆発し,
その破片は司令塔のなかに飛び込み,司令官三須宗太郎中将や航海長を負傷させた。さらに
当時高野といった山本五十六候補生など約九十名も血みどろになった。
(司馬遼太郎『坂の上の雲(第八巻)』文春文庫127頁より17行目より13行程読み聞かせる。)

【説明】砲弾を浴びる記述はこの後も未だ未だ続きます。「日進」はほとんど壊滅状態でした。
    砲術長が倒れ指揮官が居なくなったため,一斉砲撃が出来なくなりました。
    夜になり,一日目の戦いを終えます。さて,翌日の戦闘場面です。

 三笠は依然として先頭にあった。二番艦の敷島がつづき,富士,朝日,春日,日進とつながっている。
ロシア側にすればきのう飽きあきするほど繰りかえしみせつけられた東郷の第一戦隊の陣容であり,
おどろいたことにどの艦も外観も変化しておらず(遠望するスミルノフの目からみれば),いまから観艦式
に出かけるようにいきいきと航進してきた。
(いったい,あれだけ奮戦したきのうの戦いは,あれは何だったのだろうか。)
 と,スミルノフ大佐は思った。(中略)
「むだだ,戦うのは。」
と,艦長はつぶやき,参謀長のクロッス中佐の顔を見た。クロッスはうなずき,無言ながら同意を示した。
(司馬遼太郎『坂の上の雲(第八巻)』文春文庫243頁11行目より9行程読み聞かせる。)

【説明】この後,ロシア艦隊は降服します。
    昨日と全く同じように突き進んでくる日本艦隊を見て,ロシア側は戦う意欲を失いました。

【発問】昨日壊滅状態になった「日進」も,元気に突進してきました。
    昨日と変わらずに戦闘を続けられたのは何故でしょうか。 

  「素速く修理したのだと思います。」
  「大砲が未だ残っていたのだと思います。」

【説明】それぞれ正解です。
    実は,七年程前(平成十一年)に初めて明らかにされた事実があります。

(●肖像「ドメック・ガルシア大佐」提示)

【説明】「日進」に外国人が乗っていたのです。
    アルゼンチンのガルシア大佐です。戦いの様子を観察し勉強するため「日進」に乗っていました。
    観戦武官と言います。中立の立場をとるという約束で,国際法で認められていました。

〈注〉当時,観戦武官として,世界各国から選りすぐりのエリート士官42名が佐世保に集まった。
   しかし,実際に日本の艦船に乗ったのは僅かに3名であった。

【説明】しかし,砲術の専門家だったガルシア大佐は,倒れた砲術長に代わって
    砲撃の指揮をしました。国際法違反です。

【発問】国際法を違反してまで,「日進」の砲撃を指揮したのは,何故でしょうか。

  「砲撃しないと自分が乗っている船が沈んでしまうからです。」

【説明】日本とロシアの戦いは,どこからどう考えても「日本に正義がある」と,
    ガルシア大佐が確信していたのです。
    ガルシア大佐のお孫さんのホラシオ氏が,次のように語っています。

  「祖父は日本を知り,この戦争の意味を知っていたからこそ,信念を持って協力に踏み切りました。」

【説明】当時,日本はガルシア大佐に対して公に御礼をする事は出来ませんでした。
    国際法違反をした事がばれてしまうからです。ガルシア大佐に迷惑が掛かります。
    ..........しかし,密かに御礼の品を渡し感謝の言葉を述べた方がいらっしゃいました。

【発問】誰でしょうか。

  「分かりません。」

【説明】●明治天皇です。明治天皇は全てご存知だったのです。    

【説明】ガルシア大佐の母国アルゼンチンは,日本をどのように見ていたのでしょうか。
    当時のアルゼンチンの新聞記事(「ナシオン」)を紹介します。
    日露戦争に勝利した日本を次のように讃えています。

  「日本は歴史に記録される最も偉大な成功を収めた。」

【説明】続いて,日本が勝利した理由を述べています。幾つか紹介します。

  「日本では,既に604年に憲法が定められている。」

【説明】聖徳太子の「十七条の憲法」ですね。
    日本では,遥か大昔から憲法が定められ,国が治められているのだと。
    更に,次のように続きます。

  「現在アジアで憲法をもつ唯一の国である日本は,
   脅しによるのではなく,道徳によって国民の生活が平和に保たれている。」
  「勝利をもたらすのは,爆薬の威力ではなく,人間なのである。
   日露両国民の精神は十世紀も十五世紀もかけて形作られてきたのであり,
   その結果として四五〇〇万人の日本人が一億三五〇〇万人のロシア人を打ち破ったのである。」

【説明】日本国と日本人全体の質の高さが勝利の源である,と主張しているのですね。

【説明】アルゼンチンは,今も親日国です。
    明治天皇が御礼の品として渡されたものは,
    百年経った現在もアルゼンチンで大切に保管・展示されています。

【指示】今日のお勉強の感想を書いておきなさい。キーワードは,日本・アジア・アルゼンチン,です。


〈参考資料〉
◆占部賢志『日露戦争に今何を学ぶか』日本会議熊本講演会
◆占部賢志『日露戦争開戦百周年に想ふ』(『祖國と青年』平成16年8月号)
◆占部賢志『日露戦争と明治の武士道』(『明治天皇と日露戦争』明成社)
◆今井圭子『アルゼンチンの主要紙に見る日露戦争当時の日本報道』
   (平成11年「ラテン・アメリカ論集」ラテン・アメリカ政経学会) http://wwwsoc.nii.ac.jp/jsla2/pdf/open/33imai.pdf
◆安達弘『人物学習でつくる歴史授業』明治図書
◆上原卓『東郷平八郎』明治図書
◆自由主義史観研究会『近現代史の授業改革2』明治図書
◆明治百年記念出版『東郷元帥と三笠』
◆三笠保存会『記念鑑みかさ』
◆三笠保存会『日本海海戦の世界史的意義』
◆日本を守る国民会議『欧米植民地支配の世界史的展開と大東亜戦争』
◆『新しい歴史教科書』扶桑社
◆平塚柾緒『日露戦争』河出書房新社

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