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高 杉 晋 作
尊 皇 倒 幕 に 命 を 燃 や す
高杉晋作の決起により長州藩は一気に燃え上がり,倒幕の強力な核となる。これは薩長連合,鳥羽伏見の戦い,大政奉還,王政復古の大号令へとつなった
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TOSS SANJO/小林 義典
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動けば雷電の如く,発すれば風雨の如し
長州藩の藩論を倒幕に導いた人物であり,
日本を植民地化の危機から守った男,高杉晋作
帝国主義が世界を席巻している時代,
26歳の青年が日本の歴史を大きく動かした
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齋藤武夫氏(埼玉県)実践の追試です(○印の部分)。発問や指示,説明に若干手を加えました。
齋藤武夫著『学校でまなびたい歴史』(産經新聞社)には,魅力的な実践が満載です。
是非手にとっていただきたいと思います
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(●画像「幕末の頃の上海」提示)
【発問】150年程前の,上海です。
上海はどこの国の都市ですか
(●地図「東アジア」提示)
【指示】中国,当時は清といいました。
地図帳で探してごらんなさい
(●肖像「高杉晋作」提示)
【○説明】ここに当時24歳だった武士が清の都市「上海」に行きました。
長州(今の山口県)の高杉晋作です
(●「高杉晋作の日記」提示)
【○説明】上海は沢山の西洋の船や軍艦が港をふさぎ,
港町には西洋風の建物が並んでいて,屋根には西洋の国旗がなびいていました。
町にはお金を払って渡る有料の橋がありましたが,
お金を払っているのは清の人だけで,西洋人はただで通っていたそうです
【○説明】この時の事を,晋作は日記にこう書いています
○「清の人は,まるで西洋人の召使いのようだ。
イギリス人やフランス人が道を歩いて来ると,清の人は端に寄って彼らに道を譲る。
上海は清の領土だが,これではイギリスやフランスの植民地になってしまったのと同じ事だ」
【○発問】この時,晋作は日本の国づくりの方針を考えました。
どんな方針でしょうか
【説明】次の方針です
開 国
【発問】これは,当時の長州藩の人々と同じ考えだったでしょうか
(同じではない)
【説明】その通り。長州藩は「攘夷」(外国人を打ち払う)という方針でした
【発問】「開国」すると,どんな良い事があるのですか
(近代産業を興せる)
(軍備が進む)
(近代化して西洋と対等になれる)
【○説明】さて,晋作が考えた国づくりの方針は,もう一つあります
○幕府を倒し,日本を天皇中心にまとまる国にする
【○説明】維新の志士は皆,「天皇中心の国」にしなければ,
西洋と対等になれないと考えていました
【○発問】しかし,この中で,意見が一致しない部分がありました。
どの部分でしょうか
「幕府を倒す」
【○説明】その通りです。
長州藩は一度幕府軍に負けて依頼,幕府に従うという方針を通しました
【発問】当時の人々は,江戸幕府が倒されると考えていたでしょうか
(250年も続いているので倒されるとは考えられない)
(幕府軍は人数が多く強いので,倒されるとは考えられない)
【説明】当時,幕府を倒せると思った人は日本人の1%もいなかったかもしれませんね。
幕末の志士と言われる人々は,ほんの数千人しかいなくて,最初は相手にされず,
毛嫌いされる事も多かったそうです
【○説明】晋作は「奇兵隊」という軍隊を作りました。
百姓や町人等,身分に関係なく隊出来る軍隊です
【説明】江戸幕府には日本をまとめ近代化させる力はないと晋作は考え,
何とか長州藩の方針を変えさせようとします
【発問】長州藩の方針を変えさせる為に,晋作は何をしたでしょうか
【○説明】奇兵隊を率いて長州藩に戦いを挑みました。
これが大成功し,長州藩の考えは,次のようにがらりと変わります
○幕府を倒し,日本を天皇中心にまとまる国にする
【発問】晋作が長州藩の兵士3,000人に対して立ち上がった時,
最初何人の奇兵隊が従ったと思いますか
(80人)
【○説明】晋作はわずか80人で立ち上がりました。
その2年後,幕府軍との戦いに勝ちます。
晋作はこの戦いの後,病気で亡くなりますが,
長州藩はこの後,薩摩と同盟を結びます。
日本の歴史を大きく転換したのです
【指示】「日本」「西洋」「高杉晋作」というキーワードを使って,今日のお勉強をまとめなさい
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〈参考資料〉
■齋藤武夫『学校でまなびたい歴史』産經新聞社
■『歴史街道』(平成18年10月号)PHP研究所
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