心に響いた言葉

��杉晋作

後れても　後れても又　君たちに
　　　　　　　誓ひし言を　吾忘れめや

よしのりホーム

　後(おく)れても　後(おく)れても又(また)　君(きみ)たちに
　　　　　　　誓(ちか)ひし言(こと)を　吾(われ)忘(わす)れめや

　江戸時代末，徳川幕府を倒し天皇陛下ご親政の世に戻すため戦った尊皇の志士達がいた。倒幕運動の中心は長州藩。冒頭に掲げたのは，長州藩士，高杉晋作の歌である。討死(うちじに)した同志の御霊(みたま)を桜山招魂社に祭った時に詠んだもの。この招魂社は高杉晋作の発議によって創建されたという。社殿落成式典で晋作は次の漢詩を残した。

　猛烈奇兵何所志　要将一死報邦家
　可欣名遂功成後　共作招魂場上花

　猛烈の奇兵何の志す所ぞ　一死を将(も)って邦家に報(むく)いんと要す
　欣(よろこ)ぶべし名を遂げ功成るの後　共に招魂場上の花と作らん

　師，吉田松陰のもとで学んだ同志は次々とこの世を去っていく。「なぜ自分が生き残るのか」自問する晋作の姿が目に浮かぶ。

　高杉晋作は，天保十年(一八三九)長州藩の萩に生まれる。格式の高い家柄。藩校明倫館(めいりんかん)に学ぶが飽きたらず，松下村塾(しようかそんじゆく)の門をたたく。松陰は晋作を一目見て塾を代表する逸材になると見抜いた。晋作はここで開眼し「国を守り，天下万民を救う」という志を立てる。やがて久坂玄瑞(くさかげんずい)とともに松門(しようもん)の双璧(そうへき)とうたわれ「識見気魄(しきけんきはく)，他人及ぶなし」と評価されるまでになる。

　文久二年(一八六二)には藩命により幕府使節随行員(ずいこういん)として上海(しやんはい)へ渡航。清が欧米の植民地となりつつある実情を知り，このままでは日本も危ないと危機感をもつ。帰国後，身分にかかわらず入隊できる奇兵隊を創設。外国の言いなりになる幕府を倒し，ご親政により外国に負けない日本を築く方向に大きな一歩を踏み出した。

　しかし，尊皇攘夷の旗頭となった長州藩の勢いを削(そ)ごうと，幕府は武力を用いて長州藩士を京都から追放。これが原因で禁門の変が起き，多くの長州藩士が討死した。晋作の親友，久坂玄瑞(くさかげんずい)はここで自刃(享年二五歳)。長州では保守派（俗論党）が政権を握り，禁門の変の責任者である三家老が切腹。尊攘派の弾圧が始まった。晋作を深く信頼してくれた先輩周布(すふ)政之助も自刃(じじん)。尊攘派は風前の灯火(ともしび)となる。

　このまま長州が起たなければ全国の尊攘の火は消える。晋作は保守派打倒を決意した。挙兵(きよへい)をためらう奇兵隊の隊長たちに業を煮やし，急ぎ力士隊を率いる伊藤俊輔(博文)に挙兵を呼びかける。伊藤は「松陰先生の狂挙(きようきよ)をやるんじゃね」とあっさり賛成したという。「狂挙」とは，義の為に誇り高く大道(だいどう)を興(おこ)すこと。死を厭(いと)わぬ行動である。

　晋作の師，吉田松陰は生前，塾生に幕府老中暗殺を打ち明けたことがあった。晋作らは「時機を待ちましょう」と必死になって松陰の決起を抑えたが，松陰は「ぼくは忠義を為(な)すつもり。君は功業(こうぎよう)を為(な)すつもり」何故，ともに死のうと言わぬのかと歎(なげ)いた。晋作は自らの挙兵に当たり，漸(ようや)く師の憤(いきどお)り，悲しみを知る。晋作は松陰より「生きて大業(たいぎよう)をなす見込みがあればいつでも生きよ。死んで不朽(ふきゆう)の勝ちがあると思えばいつでも死ぬべし」と教えられていた。晋作は死所(しにどころ)を見付けたのである。知人に遺書を託していた。

　力士隊と遊撃隊，合わせて八四人の兵を引き連れて，まず功山寺に向かう。寺に仮泊していた尊攘派の公卿(くぎよう)に挨拶をするためである。出陣の酒を賜り「今より長州男児の肝っ玉をお目にかけ申す」と言い放ち，颯爽(さつそう)と馬に乗り出陣したという。

　八四人で馬関(下関)奉行所を占拠し，軍資金と食糧を入手。伊藤俊輔らを下関にとどめ，決死隊を募り，わずか一八人で三田尻(みたじり)港に向かう。ここには藩の海軍局があり軍艦三隻が停泊していた。艦長らは晋作の熱誠溢れる説得に折れ，晋作に従う決意をする。軍艦三隻を従えて下関に回航した晋作を見て，伊藤俊輔は我が目を疑ったという。

　晋作が下関を占拠し海軍をも従えたという情報は瞬く間に広がり，保守派は慌てた。晋作らへの軍資金や食糧の提供を禁じるお触れを藩内に出したが，庄屋連が晋作らへの支援を始める。この頃になってようやく奇兵隊も重い腰を上げた。圧倒的な軍勢の保守派を相手に，晋作率いる決起隊はや奇襲を繰り広げて勝利を収め，長州藩は再度「尊皇攘夷」に大きく舵(かじ)を切る。藩内の保守派打倒を一人決意した晋作にまず伊藤俊輔が共鳴し，次々と周囲の人々もその熱誠に引き込まれ，遂に反論が一八〇度転換してしまう。奇跡としか言いようのない史実である。

　再び尊攘派となった長州に対し，幕府は再度征討軍を向けた。大島(周防(すおう)大島)口，芸州(げいしゆう)(広島)口，石州(せきしゆう)(島根)口，小倉(こくら)(福岡)口の四方面から攻めてくる幕府軍は総勢一五万。対する長州勢は四千。決死防戦，まさに藩民一丸の戦いとなった。長州軍の総督は高杉晋作(二八歳)。幕府軍に占領された大島を奪還すべく，千トン級の幕艦四隻に対し二百トンの軍艦ただ一隻で夜間に奇襲をかけ，幕府軍を追い払った。軍艦による夜襲は海戦史上例がない。当時は灯火が十分でなく，真っ暗な海上では艦が見えず味方の艦に発砲しかねないからである。「神出鬼没で敵を悩まし，常に詭道(きどう)をもって勝利する」晋作が引き起こした奇跡と言える。

　最難関の小倉口では戦いを持久戦に持ち込んで事実上の勝利を収め，幕府の長州征討は失敗に終わった。一五万の幕府軍が四千の長州軍に敗れる。幕府の威信は失われた。全国の尊攘派が勢いを得る歴史上の大きな転換点となる。

　この頃，晋作の肺結核は末期となっていた。幕府軍を追い払った後，療養のため桜山招魂社近くに居を移す。先に祭られた同志の御霊と語り合う日々だったに違いない。

　翌年，死去。享年二九歳。

　大政奉還は，この半年後に行われた。

「動けば雷電の如く，発すれば風雨の如し」と晋作を評したのは伊藤博文である。伊藤は明治末年，久し振りに故郷の関門海峡を通る際，海に浮かぶ彦島を眺め，深い感慨とともに生前の晋作を想い出したという。

　彦島は，かつて晋作が長州藩を代表して英米仏蘭連合軍と講和を結んだ際，連合軍側に「租借(そしやく)」を要求された。晋作はこれを魔王の如き迫力で阻止したのである。清国の惨状を上海で見た晋作は「租借」とはつまり植民地化を意味すると見抜いていた。

　それからおよそ半世紀後，伊藤は彦島を船の上から眺め，英気凛々とした晋作の姿をしみじみ想い出したのである。「あの時，晋作さんが長州を代表して彦島租借を拒否していなかったら，彦島は列強の植民地となり日本の歴史は大きく変わっていたに違いない…」

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　出典　後藤久子著『高杉晋作』(新教育者連盟)