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占 領 下 の 検 閲

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TOSS SANJO/小林 義典


大東亜戦争は,昭和20年8月15日に終わったのではない。
サンフランシスコ講和条約が効力を発する昭和27年4月28日に
連合国との戦争状態は終了した。
日本が降伏してから講和条約発効までの約7年間に何が行われたのか。
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム
(戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)と,
「検閲」による思想,言論の統制があり,日本の戦争被害の詳細を知らされず,
日本が戦争で如何に残虐な行為を行ったかを過大に刷り込まれた時代があった。
この事実を我が国の小学生に知らせたいと願い,授業を組み立てた。


これは,平成15年9月27日に,新潟県三条市に於いて開かれた
「第2回たくみ講座」で行った模擬授業である。

Webワーク


(●写真「原爆のキノコ雲」提示→地図「連合国」→地図「ポツダム宣言受諾」提示)
【説明1】昭和20年8月15日,太平洋戦争で日本は降服しました。その時,日本が受け入れたのがポツダム宣言です。


(●資料「ポツダム宣言(英文)」提示)
【説明2】ポツダム宣言には,降服する時の約束が書いてあります。


(●資料「ポツダム宣言第10項」提示)
【説明3】第10項で,連合国は,日本人の「言論の自由」を約束しています。
     「ポツダム宣言」「言論の自由」読んでみましょう。さんはい。
     言論の自由とは,「自分が正しいと思うことを自由に発表できること」です。

【発問1】降服した時,本当に日本人には「言論の自由」があったのでしょうか。
     「言論の自由」があったと思う人? なかったと思う人?(挙手させる。)
     今日はこのことについて,調べていきます。


(●写真「アメリカ:メリーランド大学のマッケルディン図書館」提示)
【説明4】アメリカのメリーランド大学の図書館に,当時の連合国の資料が眠っています。
     段ボール箱1万個分。とてつもなく沢山の資料です。

☆注:〈占領政策〉
    1. 日本陸軍の解体(昭和25年より転換。警察予備隊の創設。)
    2. 日本海軍の解体(昭和25年より転換。警察予備隊の創設。)
    3. 戦犯の逮捕(昭和24年より転換。A級戦犯の裁判放棄)
    4. 軍国主義者の公職追放(昭和25年より転換。公職追放解除。)
    5. 政教分離
    6. 軍国主義教育の廃止
    7. 軍需産業の禁止
    8. 財閥解体(昭和24年より転換。独占資本を中心とする経済復興路線の推進。)
    9. 農地改革
    10. 労働基本権の承認(昭和24年より転換。労働運動への抑圧が始まる。)
    11. 日本国憲法を中心とする民主主義制度の確立 


(●写真「手紙」提示)
【説明5】その資料によると,連合国は毎月400万通の日本人の手紙を開け,中身を読んだ,とあります。
      湯気で封を開け,中の手紙を調べ,また封をして送りました。

(●写真「電話機」提示)
【説明6】また,毎月25000件の電話を盗み聴きしたことも分かりました。

【発問2】このようなことをされたら,どんな気持ちですか。
     (2〜3人に問う。その後,「同じ気持ちの人」「違うという人」と全体に確認する。)

(●テキスト「新聞や雑誌などの印刷物の検査」・写真「昭和20年代の新聞」を提示)
【説明7】新聞や雑誌などの印刷物。これは印刷前に連合国が目を通しました。
     連合国が発表を許したもの以外は日本で印刷できませんでした。

(●テキスト「ラジオ放送原稿の調査」・写真「昭和20年代のラジオ」「ラジオ放送のスタジオ」提示)
【説明8】ラジオ放送。放送する前に連合国が原稿をチェックしました。


(●テキスト「検閲」提示)
【説明9】このように,人が言ったり書いたりしたものを,そのまま認めてよいかどうかを調べることを「検閲」といいます。 


(●資料「削除または掲載発行禁止の対象となるもの」提示)
【説明10】連合国の作った検閲のチェック項目を見てみます。

【発問3】日本人が,新聞や雑誌で東京大空襲や広島,長崎の原爆について悪く書くことは出来たでしょうか。(挙手させる。)


(●テキスト「“アメリカ合衆国に対する批判”」強調・写真「原爆のキノコ雲」「空襲」提示)
【説明11】連合国は,空襲や原爆について,日本人が悪く言うことを禁じました。
     戦争の被害についての発表も許しませんでした。

【発問4】日本人が,連合国の「検閲」について発表することは出来たでしょうか。(挙手させる。)


(●テキスト「“検閲制度への言及”」強調・写真「GHQ」提示)
【説明12】連合国が検閲を行っているということ自体,秘密にしました。
     当時,一般の日本人は「検閲」があったことを知りませんでした。


(●写真「『太平洋戦争史』」提示)
【説明13】連合国がまとめた,「太平洋戦争の歴史」の本です。
     太平洋戦争では日本が全て悪かったという立場に立った歴史です。
     これは,日本のほとんどの新聞に載せられ,多くの日本人が読むことになりました。
     中には事実でないものも含まれていました。
(●写真「『真相はかうだ』」提示)
     『真相はかうだ』というラジオ放送。
     この『太平洋戦争史』をラジオ劇にしたものです。半年間放送されました。
(●テキスト「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」提示)
     連合国はこれらを「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」と読んでいました。
     「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」です。

☆注:昭和4年,ニューヨークに端を発した世界恐慌の結果,世界各国は経済ブロックを築き,排他的な経済圏をつくった。
    その経済ブロック内でのみ経済関係を保っていた。広い植民地をもち,豊かな資源がある国のみが生き残れる政策である。
    日本はその中で孤立させられたのはいうまでもない。
    日本はこれに対抗し,当時欧米の植民地と化していた東アジアの国々を独立させ,大東亜共栄圏を築こうとした。
    そのために行われた戦争が,大東亜戦争である。
    連合軍の占領下,「大東亜戦争」という呼称は検閲の対象とされ,「太平洋戦争」と書き直させられた。

【発問5】当時の日本人の「言論は自由であった」と思う人? 「言論は自由ではなかった」と思う人?(挙手させる。)

【発問6】このような状態は,何年間続いたと思いますか。
     (★2〜3人に問う。発言がある毎に「同じ考えの人?」と全体に確認する。)

  「分かりません。」
  「2年くらいだと思います。」


(●「サンフランシスコ講和条約」提示→範読)
【説明14】サンフランシスコ平和条約。日本と連合国の間に結ばれた条約です。
     「第1条 日本と各連合国との間の戦争状態は,この条約が効力を生ずる日(昭和27年4月28日)に終了する。」


(●テキスト「戦争状態は,昭和27年4月28日に終了する。」強調)
【発問7】戦争状態は,いつ終了したのですか。

  「昭和27年4月28日です。」


(●テキスト「降服・戦争終了」提示)
【説明15】その通り。降服したのは,昭和20年8月でしたが,戦争は昭和27年に終了したのでした。
(●テキスト「占領期間」提示)
     「言論の自由」がなかったのは約7年間です。この間,日本は連合国に占領されていたのでした。

【指示2】今日のお勉強の感想をノートに書いておきなさい。


〈参考資料〉
◆江藤淳『閉された言語空間 〜占領軍の検閲と戦後日本〜』文春文庫
◆齋藤武夫『学校でまなびたい歴史』扶桑社
◆名越二荒之助『昭和の戦争記念館 第二巻 大東亜戦争と被占領時代』展転社
◆岡崎久彦『吉田茂とその時代』PHP研究所
◆ヘレン・ミアーズ(伊藤延司訳)『アメリカの鏡・日本』メディア・ファクトリー
◆渡部昇一『かくて昭和史は甦る』クレスト社
◆渡部昇一『国を語る作法』PHP研究所

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