大東亜戦争は,昭和20年8月15日に終わったのではない。 サンフランシスコ講和条約が効力を発する昭和27年4月28日に 連合国との戦争状態は終了した。 日本が降伏してから講和条約発効までの約7年間に何が行われたのか。 ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム (戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)と, 「検閲」による思想,言論の統制があり,日本の戦争被害の詳細を知らされず, 日本が戦争で如何に残虐な行為を行ったかを過大に刷り込まれた時代があった。 この事実を我が国の小学生に知らせたいと願い,授業を組み立てた。
これは,平成15年9月27日に,新潟県三条市に於いて開かれた 「第2回たくみ講座」で行った模擬授業である。
☆注:〈占領政策〉 1. 日本陸軍の解体(昭和25年より転換。警察予備隊の創設。) 2. 日本海軍の解体(昭和25年より転換。警察予備隊の創設。) 3. 戦犯の逮捕(昭和24年より転換。A級戦犯の裁判放棄) 4. 軍国主義者の公職追放(昭和25年より転換。公職追放解除。) 5. 政教分離 6. 軍国主義教育の廃止 7. 軍需産業の禁止 8. 財閥解体(昭和24年より転換。独占資本を中心とする経済復興路線の推進。) 9. 農地改革 10. 労働基本権の承認(昭和24年より転換。労働運動への抑圧が始まる。) 11. 日本国憲法を中心とする民主主義制度の確立
☆注:昭和4年,ニューヨークに端を発した世界恐慌の結果,世界各国は経済ブロックを築き,排他的な経済圏をつくった。 その経済ブロック内でのみ経済関係を保っていた。広い植民地をもち,豊かな資源がある国のみが生き残れる政策である。 日本はその中で孤立させられたのはいうまでもない。 日本はこれに対抗し,当時欧米の植民地と化していた東アジアの国々を独立させ,大東亜共栄圏を築こうとした。 そのために行われた戦争が,大東亜戦争である。 連合軍の占領下,「大東亜戦争」という呼称は検閲の対象とされ,「太平洋戦争」と書き直させられた。
「分かりません。」 「2年くらいだと思います。」
「昭和27年4月28日です。」
〈参考資料〉 ◆江藤淳『閉された言語空間 〜占領軍の検閲と戦後日本〜』文春文庫 ◆齋藤武夫『学校でまなびたい歴史』扶桑社 ◆名越二荒之助『昭和の戦争記念館 第二巻 大東亜戦争と被占領時代』展転社 ◆岡崎久彦『吉田茂とその時代』PHP研究所 ◆ヘレン・ミアーズ(伊藤延司訳)『アメリカの鏡・日本』メディア・ファクトリー ◆渡部昇一『かくて昭和史は甦る』クレスト社 ◆渡部昇一『国を語る作法』PHP研究所