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ポーランド人孤児救出

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TOSS SANJO/小林 義典

かつてポーランドの民は,近隣諸国に国土を奪われた。

抵抗運動をした者は,シベリアに流され,
過酷な環境の中で,多くの子供が親を失う。

「子供だけでも生かして祖国へ帰したい」
その悲願は,欧米諸国に拒絶された。

この救出に起ち上がったのが大正の日本である。

帝国軍人を含む多くの日本人がシベリアの奥深くまで入り,
ポーランド人孤児を抱きかかえるように救出した。



(画像「食事をする孤児たち」投影)

【指示】この写真を見て,分かったこと,気付いたこと,思ったことをノートに書きなさい。(板書させる)

【発問】何年くらい前の写真でしょうか。(およそ90年前:大正9年(1920))

【発問】どこの国で撮った写真でしょうか。 (日本:東京の日本赤十字社)

【発問】どこの国の子供でしょうか。

【指示】ポーランドです。地図帳で探してごらんなさい。

【発問】ポーランドの子供が日本に居たのは,何故でしょうか?予想をノートに書いてごらんなさい。

【説明】ポーランドは,周りの3つの国(ロシア・オーストリア・ドイツ)に国土が奪われました。
これに抵抗する人は捕まり,シベリアに送られました。
10万人以上のポーランド人がシベリアに送られたといわれています。
そこでは,親を亡くす孤児がたくさん出ました。
せめて子供だけでも祖国へ送り届けたいという人達が集まりました。
代表は,アンナ・ビェルケビッチさんです。
アンナさんは,アメリカやヨーロッパの国々に子供達を救ってくれるようお願いしましたが,ことごとく断られました。
最後に,日本に来ました。その時のお願いの文の一部です。

【指示】読んで下さい。

「われわれは祖国から離れ離れになり,いまだ何の助けも得られません。
このまま冬が来ると,子供達の命が奪われることは明らかです。
子供を花のように愛する日本が,彼らの命を戦争の不幸から救ってくださるよう,私は切に願っています。

【説明】このようにして,日本がポーランドの子供達を救うことになったのです。

【発問】合計何人くらいの子が日本にやって来たと思いますか。(765名 平均年齢5歳)

【発問】おもちゃやお菓子,服などを持ち寄る人々,お金の寄付を申し出る人は,
日本中から後を絶ちませんでした。
中には自分の特技を生かして子供達を喜ばせようとする人も大勢訪れました。
どんな特技の人が訪れたと思いますか。(列指名)

【説明】無料で歯の治療をしようという歯医者さん,髪を整えようという床屋さん,
演奏会を開こうという学生音楽会,お楽しみ会に招待しようという慈善協会 …などです。

【説明】皇后陛下も,子供達と親しく接しました。後に,一人はこう語っています。

【指示】読んで下さい。

どんなに優しくされても心細くてたまらなかった時,貞明皇后に抱きしめてもらったことが今でも忘れられない

【発問】中には,重病の子,もはや手遅れと思われる子も居ました。
子供達の何人くらいが生きてポーランドに帰ったでしょうか。

【発問】765名全員です。しかし,関係者でたった一人亡くなった方が居ました。
ある役割を果たした人です。どんな役割の人が亡くなったと思いますか。ノートに書いてごらんなさい。

【説明】看護婦さんです。松澤フミさん。
子供達の中に,重い伝染病(腸チフス)でもう手遅れと思われた小さな女の子が居ました。
その子が不憫でたまらず,「死を待つほかないのなら,せめて自分の胸で死なせてやりたい」と
毎晩ベッドで添い寝したそうです。
女の子は奇跡的に助かりましたが,看護婦さんはその伝染病で亡くなりました。
(23歳でした。松澤フミさんは,新潟県出身だそうです。)

【説明】祖国ポーランドへ向けて出発する際,子供達は,お世話になった人達との別れを悲しみ,
乗船することを泣いて嫌がったそうです。

【説明】それからおよそ80年後の平成14年,今上陛下,皇后陛下はポーランドを訪れ,
孤児だった人達にお会いになられました。
そのうちの一人,アントニーナ・リロさんは既に85歳になっていて,
美智子皇后陛下の手をずっと握り締めていたそうです。

【発問】皇后陛下の手をずっと握り締めたのは,あることを思い出したからです。
何を思い出したのでしょうか。

【説明】80年前の,かすかに覚えている貞明皇后の手の感触を思い出したのです。
時間が止まったかのように感じられたそうです。
リロさんはその後,次の言葉を遺して90歳の生涯を閉じました。

「日本は天国のようなところだった」

【説明】阪神淡路大震災。多くの孤児が出ました。
ポーランドは何十人もの孤児を招待しました。
真中に写っているのが,リロさんです。
東日本大震災でも,ポーランドは被災者の支援に乗り出しています。

【指示】今日のお勉強の感想をノートにまとめておきなさい。



〈参考資料〉
◆『人道の港 敦賀ムゼウム』 http://www.city.tsuruga.lg.jp/sypher/free/kk-museum/main.html
◆占部賢志『大正日本とポーランド』〈産経新聞 平成23年8月20日〉
◆伊勢雅臣『大和心とポーランド魂』〈国際派日本人養成講座〉
◆兵藤長雄『善意の架け橋 ポーランド魂とやまと心』(文藝春秋)

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