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満 洲 国(建国と崩壊)

よしのり Home
TOSS SANJO/小林 義典
植民地をもつ国が文明国と呼ばれ,
祖先の伝統を守って慎ましく暮らしている人々が野蛮民族と呼ばれた時代。
大東亜戦争前の世界はそのような時代であった。
強大な軍事力を背景に,植民地を広げ続ける欧米列強。
産業を興し,軍事力を持たねば国の独立を保てぬと,
アジアでただ独り立ち上がったのが日本である。

日本人はアジアの混乱を憂えた。

浸食してくる欧米列強に対抗すべく
日本はアジア諸国の独立勢力に肩入れを始める。
満洲国はこうした背景の中で建国された。
「王道楽土」「五族協和」
崇高な理想を掲げ,建国が着々と進められた満洲国。
しかし,その寿命は13年。

満洲国建国に懸けた当時の日本人。
その気概を子供達に伝えたいと願い,授業を組み立てた。


WEBワーク(2.6MB)

(●絵柄「満洲国国旗」提示)
【発問】ある国の国旗です。
    この国旗を見て思ったことを,どんなことでもいいですから,ノートに箇条書きで書きます。
    今日の日付を書いてから。時間は2分。

「色が五色です。」
「アメリカの国旗は小さい□が左上だけど,この国旗は右上にあります。」
「黄色い部分が広いです。」

(●テキスト「満洲国」提示)
【指示】これは,満洲国の国旗です。ノートに「満洲国」と大きく書きます。
    教科書で満洲の地図が書いてある頁があります。探してごらんなさい。
    見付けたら,黙って手を挙げなさい。(指名して頁を発表させる。)

(●テキスト「満洲民族〜蒙古民族」提示)
【説明】黄色は満洲民族を表しています。
    赤は,日本民族,
    青は,朝鮮民族,
    白は,漢民族,
    黒は,蒙古民族です。    

(●地図「極東アジア」提示)
【指示】満洲国はこの位置にありました。この写真のように日露戦争前は広大な原野でした。
    地図帳で探してごらんなさい。

「ありません。」

【説明】満洲国は今地球上に存在しません。しかし,かつては一つの国として存在したことがありました。
    今日は,その満洲国について学習します。

(●資料「ポーツマス条約」提示)
【発問】ポーツマス条約です。「ポーツマス条約」とノートに書きましょう。
    ポーツマス条約は,何という戦争の後に結ばれた条約ですか。

 「日露戦争です。」

(●資料「ポーツマス条約第3条」提示)
【指示】「第3条 ロシアは,満洲を清に返す。」(教師範読)
    一緒に読みます。さんはい。

【発問】満洲を清に返すのは何処の国ですか。

「ロシアです。」

【発問】日露戦争前,満洲は何処の国が支配していたのですか。

「ロシアです。」

【指示】「第6条 ロシアは,清の同意を得て,長春より南の鉄道とその地域の一切の権利を日本に譲る。」(教師朗読)
    一緒に読みます。さんはい。

(●地図「東アジア」の「長春」を提示)
【指示】「長春」はここです。長春は地図帳にあります。探してごらんなさい。

(●資料「日清条約 第1条」提示)
【指示】「日清条約 第1条 清は,ロシアがポーツマス条約 第5条,6条により日本に譲った権利を認める。」(教師朗読)
    一緒に。さんはい。
    「日清条約」とノートに書きます。

【発問】長春より南の鉄道とその地域の一切の権利は,どこの国のものになったのですか。

「日本です。」  

【説明】日露戦争後,日本は南満洲をロシアと清から正式に譲り受けました。

(●写真「開拓民」提示)
【説明】日本は,この地を譲り受け,積極的に開拓を始めました。
    開拓とは,野山を耕して畑にすることです。
    開拓に行った人たちを「開拓民」と言います。
    「開拓民」言ってみましょう。さんはい。
    「開拓民」とノートに書きます。

【説明】この辺はいくつかの軍閥がお互いに争っている地でした。
    軍閥とは,武器をもった兵隊を組織し,その地域を治めている集団です。
    満洲には馬賊や盗賊など暴力で物を奪ったり人を傷つけたりする集団もいました。
    当時,30万から300万人もの盗賊がいたと見られています。
    満洲人たちは,日々これらの盗賊に悩まされていました。
    ですから,満洲にいる日本人の身に危険が迫ることも多くありました。
    「軍閥」「馬賊」「盗賊」とノートに書きます。

【発問】開拓民の身の安全を守るためには,どうすればいいでしょう。

「警察がいればいいと思います。」
「開拓民が武器を持てばいいと思います。」
「政治を立て直せばいいと思います。」

(●写真「開拓団」提示)
【説明】開拓民は自分たちの生活を守るためのグループをつくりました。

(●写真「関東軍」提示)
【説明】また,満洲にある鉄道を守るため,日本は鉄道沿いに軍隊を置きました。
    「関東軍」と言います。言ってみましょう。さんはい。
    これは,ポーツマス条約によって認められたものでした。
    「開拓団」「関東軍」とノートに書きます。もう書いてしまった人? 速い!!    

(●資料「本庄繁の絶筆」提示
【説明】当時,関東軍の司令官だった本庄繁です。この方は,敗戦の年の11月に自刃しました。
    その時書き遺したものに,次のような文章があります。(教師朗読)
    「日本人や朝鮮人に対する暴力が広がり,小学生が学校に通うにも,関東軍による保護が必要だった。
     そのような状態の中で,学校を閉鎖するにいたった。
     満洲の日本人や朝鮮人も帰国せざるを得なくなり,30万人ほどの人達が帰って行った。
     関東軍自体も,満洲軍を刺激しないよう気を配った。
     軍の訓練の時には,実弾を持たないようにし,訓練の日時や場所も満洲軍に報告した。
     しかし,満洲軍は実弾を持って,関東軍と同じ場所で軍事訓練を始めたり,銃を向けたりしてきた。」

【発問】このような状態が続くと,どうなるでしょう。

  「日本人や朝鮮人が殺されます。」
  「戦争になります。」   

【説明】満洲にいる多くの日本人や朝鮮人の身には危険が迫っていました。
    (当時,朝鮮は日本が併合していましたので,満洲にいた朝鮮人は日本人と同じように嫌がらせや暴力を受けていました。)

(●写真「中村震太郎大尉」提示)
【説明】昭和6年6月,満洲で中村大尉ら二人の日本軍人が中国兵に殺される事件が起きました。
    戦争になりそうになりましたが,日本政府は争いを避けました。
    中国に抗議するだけに止めたのです。

(●写真「万宝山事件現場」提示)
【説明】7月には,満洲で万宝山事件が起きました。
    朝鮮の農民が満洲で開拓した土地を,中国の農民500人が襲撃した事件です。

(●資料「関東軍と張学良軍の比較」提示)
【説明】当時,関東軍はおよそ1万人,満洲の軍閥は正式な軍隊だけでも25万人といわれていました。

【発問】日本はどうしたでしょう。

【説明】万宝山事件の2か月後,関東軍は満洲鉄道の線路を爆破しました。
    これを,満洲の張学良軍のやったことに見せかけ,関東軍は攻撃を始めたのです。
    兵隊の数は圧倒的に少なかったのですが関東軍は勝ち進み,満洲の軍閥を制圧しました。

(●地図「満洲各地の独立」提示)
【説明】日本に対抗する軍閥が満洲から追い出されてから,各地で独立の動きが起こりました。

(●写真「建国集会と于沖漢(うちゅうかん)」提示)
【説明】新しい国をつくろうという大集会の写真です。
    演説しているのは,于沖漢という人です。

(●地図「満洲各地の独立」の「奉天省」提示)
【説明】先ず,奉天省が中国と離れて新しい国をつくろうと動き始めました。

(●地図「満洲各地の独立」の「吉林省」提示)
【説明】次に吉林省が独立。

(●地図「満洲各地の独立」の「遼寧省」「熱河省」提示)
【説明】それと同時に遼寧省,熱河省が共同で独立宣言を発表しました。

【発問】それぞれの地域が中国と離れて独立を始めたのは何故でしょうか。

「盗賊にやられるような生活から抜け出したかったからです。」
「政治を立て直そうとしたからです。」

(●写真「建国会議」提示)
【説明】各省の代表が奉天に集まり,建国会議を行いました。
    満洲全体を一つにまとめて,王道楽土の国をつくろうという理想に燃えていました。
    「王道楽土」とは,「正しい心で国を治め,安らかに過ごせる国をつくる事」です。
    「王道楽土」ノートに書きましょう。

(●資料「全満建国促進運動連合大会」提示)
【説明】そして,奉天城内に集まった各省や団体の代表約700人が満洲建国を宣言しました。
    これにより,「五族協和」の満洲国が誕生したのです。
    「五族協和」とは,「満洲,日本,朝鮮,漢,蒙古の各民族が仲良く力を合わせよう」という意味です。
    「五族協和」ノートに書きます。

(●写真「満洲国国旗」提示)
【説明】授業の最初に見せた国旗に,その理想が表されています。

【発問】満洲国が出来てから,満洲の人口は増えたでしょうか。減ったでしょうか。

【指示】増えたと思う人。減ったと思う人。(挙手させる。)  

(●図「昭和13年の人口」と「日露戦争前の人口」提示)
【説明】日露戦争前には百万人から数百万人の人口だったと言われています。
    しかし,満洲事変当時は三千万人,昭和13年には四千万人近くに増えています。
    一年に百万人以上の人々が満洲国になだれ込んでいました。

【発問】このように,爆発的に人口が増えたのは何故でしょう。

「盗賊がいなくなったからだと思います。」
「新しい国が出来て,今まで争っていた人達が皆同じ国の人になって,平和になったからだと思います。」

(●テキスト「住み良い国になった」提示)
【説明】満洲国が大変住み良い国になったからです。
    日本が満洲国の国づくりを支え,様々な仕事に取り組みました。

(●写真「豊満ダム」提示)
【説明】まずはダムの建設です。大規模なダムを次々と建設しました。
    スクリーンに映っているのは豊満ダム。高さ90m,長さ1,100mで,東洋最大級のダムでした。
    このダムの建設により満洲の水害が減りました。
    また満洲やその周辺の電力を全て賄う程の電力を作ることが出来ました。

(●資料「フィリピン外相の言葉」提示)
【説明】豊満ダムが完成した時には,外国から多くの方が見学に来ました。
     フィリピンの外相はダムの大きさと役割の大きさに驚き,次のように言いました。
    「フィリピンはスペイン植民地として350年,アメリカの支配下で40年が経過している。
     だが,住民の生活向上に役立つものは一つも作っていない。
     満洲は建国わずか10年にしてこのような建設をしたのか。」 (松井仁夫『語り部の満州』)  

(●写真「あじあ号」提示)
【説明】日本が開発した「あじあ号」です。最高時速120km。
    当時日本国内で走っている列車は最高時速95kmでした。圧倒的に速かったのです。 
    しかも,冷暖房完備でした。
    鉄道を敷く最終目標は25,000km。一年間に600kmもの鉄道を建設しました。 

(●写真「新都市建設」提示)
【説明】新京,奉天,ハルビン,吉林,チチハル,等,昭和17年までに109都市を建設する計画でした。

(●写真「新京」提示)
【説明】 とくに新京では,百万人都市計画を進めました。
  電気,上下水道,東洋初の水洗便所を整備しました。(現在は「長春」)

(●資料「新京放送局」提示)
【説明】新京放送局をつくりました。百キロワットの出力で,東洋一の規模でした。
    当初ラジオに馴染みのなかった満洲人も,昭和15年には日本人以上にラジオを聴く人が増えました。 

(●資料「満洲電信電話株式会社」提示)
【説明】電話会社です。
    電話加入者は昭和15年に107,707人になりました。(うち日本人が6割弱,満洲人が4割弱。)

(●資料「大学」提示)
【説明】大学です。
    昭和9年 国立新京法制大学
    昭和12年 建国大学を設立しました。
    建国大学の学生は,日系4割,満洲系3割,その他3割でした。

(●資料「その他のインフラ整備」提示)
【説明】その他,銀行の設立,学校の設立,工業の発展,農地の整備,病院の設立,道路づくり,空港・港の建設,等を進めました。
    治外法権もなくしました。法で治められる国になっていないと治外法権をなくすことが出来ません。
    そのために,満州国内が法律によって治められるよう日本は力を尽くしました。

【発問】この満洲国の寿命は13年でした。
    満洲国はどのようにして崩れたのでしょうか。

「他の国から攻め込まれたんじゃないかと思います。」
「戦争です。」

(●写真「ソ連軍の侵攻」提示)
【説明】昭和20年8月9日,アメリカが広島に原爆を落とした三日後。
    ソ連は「日ソ不可侵条約」を破り,日本に宣戦布告しました。
    ソ連軍は,総兵力175万人。満洲に残っていた関東軍はわずか17万人。ソ連軍を迎え撃つ力はありませんでした。
    満洲に進出したソ連軍は,日本の軍人,民間人60万人から70万人をシベリアに連行していきました。
    満洲の重要な産業施設は,ソ連へ運ばれました。
    アメリカのボーレー調査団の報告によれば,それは約9億ドルに相当する資産だったそうです。

(●資料「星野直樹の言葉」提示)
【説明】当時大蔵省から抜擢されて満洲国総務長官を務めた星野直樹さんは次のように述べています。
    「生命わずか13年。満洲国の建設は遂に見果てぬ夢に終わった。
     しかし,この間,日本の若き人々の費やした努力と苦心とは永久に日本民族の誇りとするに足るものであると確信する。
     満洲国建設の仕事に参画することができたことを,いまに幸福と考えているのは,決して私一人ではないと思う。」
                                                 (星野直樹『見果てぬ夢−満洲国外史』)

【指示】今日のお勉強の感想を書いておきなさい。

子供の感想(平成16年2月26日 6年生24名に授業を実施)


〈参考資料〉
◆名越二荒之助『世界に開かれた昭和の戦争記念館 第1巻』展転社
◆岡崎久彦『小村寿太郎とその時代』PHP
◆岡崎久彦『幣原喜重郎とその時代』PHP
◆黄文雄『日本の植民地の真実』扶桑社
◆『高等学校最新日本史教授資料』国書刊行会
◆太平洋戦争研究会『満州国の最期』新人物往来社
◆太平洋戦争研究会『図説 満州帝国』河出書房新社

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