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日本の国旗

よしのり Home
TOSS SANJO/小林 義典

日本人は古来より
万物の恵みの源である太陽を「神」として崇めた。
天照大神は「太陽の神」であり,女神である。
日の丸は,その太陽を象った。
国旗は,国家を表徴する尊厳な標識であり,
国の主権を象徴する神聖な性質を賦与されている。
自国の国旗を語れない者は,
国際社会で半端者として扱われ,決して信用されない。
自国の国旗の由来を子供たちに伝えるのは,
教師の責務である。

 聖徳太子の国書の一部を提示後,隋の皇帝を怒らせた言葉がどれかを問うのは,齋藤武夫氏(埼玉県)の追試である。
 齋藤武夫氏の著書『学校でまなびたい歴史』(産經新聞社)101頁の記述を追試させていただいた。
 氏の著書は,日本人の気概を子供たちに分かり易く伝える実践が満載である。

Webワーク

(●写真「遣米使節団歓迎パレード」提示)
【指示】この写真を見て,気付いたこと,分かったこと,思ったこと,どんな小さな事でもいいですから,ノートに書いてごらんなさい。  
    1,2,3,と番号を付けて,箇条書きで書くのです。時間は3分。
    (3分後)5つ以上書いた人は持ってきなさい。(○をつけて板書させる。)

  「昔風の写真」
  「人が大勢いる」
  「高い建物から人が下を見下ろしている」
  「誰か偉い人のパレードか」
  「日の丸が飾られている」
  「建物の窓にぎっしり日本の国旗が飾られている」
  「アメリカの国旗も飾られている」

(●写真「当時の米新聞記事」提示)
【説明】江戸時代の終わり頃(1860年),日本の武士がアメリカに渡った時の写真です。
    今から140年ほど前のこと。
    当時の武士はアメリカで大歓迎を受けました。    

(●絵「遣米使節団」提示)
【説明】アメリカに渡る時には,このように日の丸を立てた船で出かけました。

【説明】今日は,私たちの国,日本の国旗について学習します。

【発問】日の丸のデザインは,いつ頃から使われ出したのでしょうか。

【指示】三択です。A:およそ350年前 B:およそ550年前 C:およそ850年前(挙手させる。)

(●絵「源義朝」提示)
【説明】平安時代の末,武士が登場し始めた時代。
    『愚管抄』という歴史の書物に,源義朝について次のような文があります。
    「日出シタリケル紅ノ扇ヲハラハラトツカヒテ」(1156年の保元の乱で活躍した時の記述)

(絵「源義朝の扇(予想図)」を示しながら)
【説明】それは,このように白地に薄い紅色の日の丸であったと言われています。
    これがおよそ850年前です。

(●絵「源義経」提示)
【説明】源義経です。小さい頃の名前は「牛若丸」。
    源義経が部下に与えたご褒美は,
    「紅の日出したる扇」
    でした。およそ820年前(1180年)。 

(●絵「朱印船」提示)
【説明】東南アジアの各地で活躍した貿易船です。
    秀吉や家康から御朱印状という免許状をもらった船なので朱印船といいます。
    日の丸の旗をつけています。
    日本の船であることを表しているのですね。これがおよそ400年前。  

(●絵「安宅丸」提示)
【説明】江戸時代,将軍の御召船です。
    日の丸がたくさん見えます。
    これがおよそ370年前。

【発問】感想を一言。

  「日の丸の旗は,昔から使われているんだなあと思いました。」
  「日本人は日の丸のデザインが好きなんだと思いました。」

【説明】日の丸は,日本人にとって大変親しみのあるデザインだったのですね。

(●絵「島津斉彬」提示)  
【説明】薩摩藩主の島津斉彬です。
    江戸時代の末,船につける印を日の丸にしましょうと,幕府に願い出た人です。
    島津斉彬は九州の桜島から上る朝日を見ながら次のように言っています。
    「日本の将来はあの上る旭日(朝日)のようでなければならぬ。」

【発問】日の丸の紅は何を表しているのですか。

  「太陽です。」

【説明】太陽だと思う人?(挙手させる。)
    その通りです。
    日本人は太古の昔から太陽の恵みに感謝し,太陽を敬っていました。
    ですから,太陽のデザインを好んでいたのですね。

(●文字「日本」提示)
【説明】国の名前にも「日」という文字があります。
    これも太陽を表しているのですね。

【発問】日本の「本」は何を表しているのですか。
    予想をノートに書いてごらんなさい。

  「本物の太陽という意味で,本物の本という意味だと思います。」  

【説明】「本」は「もと」という意味です。
    日本を「日(ひ)の本(もと)」の国とも言います。
    太陽を敬う国という意味の他に,「朝日の上る方角の国」という意味もあるのです。

【発問】昔,日本は「やまと」といいました。
    「日本」というようになったのは,いつ頃からでしょうか。

【説明】これは難しいですね。
    「日本」という国名に,「朝日の上る方角の国」という意味があります。
    この方角がヒントになるのです。

【発問】朝日はどの方角から上りますか。

  「東です。」

(●図「日本と隋,太平洋」提示)
【説明】その通りです。
    (東の方角を指して)こちらの方,東の方から朝日は上るのですね。

(●図「日本と隋,太平洋」提示)
【発問】図の,どちらから見ると,日本が「朝日の上る方角の国」に見えるのですか。

  「日本の西から,です。」

【説明】その通り。
    隋という国の方から見ると日本が「朝日の上る方角の国」に見えるのですね。

(●絵「聖徳太子」提示)
【説明】ここで登場するが聖徳太子です。
    およそ1400年前にご活躍された方。

(●資料「聖徳太子の国書の文」提示)
【説明】聖徳太子は,隋の皇帝に次のような手紙を送りました。
    「日出ずる処の天子,書を日没する処の天子に致す,恙なきや」

【指示】分からない言葉はありませんか。

    (日出ずる処=朝日の上る方角の国)
    (天子=天帝の子,皇帝)
    (書=手紙)
    (日没する処=夕日が沈む方角の国)
    (恙なきや=お元気ですか)

【発問】隋の皇帝はこの手紙を見て激しく怒りました。
    この手紙のどこかに,皇帝を怒らせる言葉があったのですね。
    それはどの言葉でしょう。

  「日出ずる処が日本で,日没する処が隋のことなので,
   何だか隋がこれから落ちぶれていくような表現だからだと思います。」
  「恙なきや,という言葉が偉そうに感じたのだと思います。」

【説明】日本の天皇を「天子」と表現したことが気に入らなかったのです。
    隋にとって,「天子」と呼べる人は世界中に唯一人,隋の皇帝だけだと考えていたのです。
    ところが,聖徳太子の手紙には,日本の天皇と隋の皇帝を対等に書いています。

【説明】当時の日本は,隋から家来のように扱われていたのです。
    聖徳太子は,主人と家来のような関係を断ち切ろうと考えました。
    そのために出した手紙が,これです。
    まかり間違えば隋との戦争になるほどの重大な手紙でした。 
    しかし,聖徳太子の見事な作戦が成功し,日本は隋との関係を対等のものにしました。    

(●資料「国名の変化」提示)
【説明】その後,日本は,国の名を「日本」と書くようになりました。
    「日出ずる処」つまり,「朝日の上る方角の国」という意味もこめて,です。
    漢字で「日本」と書いて,読み方は今までどおり「やまと」でした。
    しかし,支那や朝鮮では,漢字の音どおりに「日本」を「ヂツポン」と読みました。
    やがて日本国内でも「ヂツポン」と読むようになり,次第に「ニッポン」「ニホン」と読むようになったのです。

(●資料「国名の由来」提示)
【説明】日本という国の名前の由来には,聖徳太子の「日出ずる処」という表現があったのですね。 
    その「日」,太陽を象ったのが私たちの国旗,日の丸なのです。
    日の丸は,ものにとらわれない円満な心,誠実な心も表しています。
    日本人にぴったりの国旗ですね。  

【指示】今日のお勉強の感想を書いておきなさい。


〈参考文献〉
◆所功『国旗・国家の常識』東京堂出版
◆齋藤武夫『学校でまなびたい歴史』産經新聞社
◆別冊歴史読本『幕末・明治・大正 古写真帖』新人物往来社

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