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ガリレオ・ガリレイ


 およそ、四百年前、イタリアにガリレオ・ガリレイという若者がいました。
 物事の本当の姿は何かということに強い関心がありました。
 いつも、「なぜだろう。」「どうしてだろう。」と考え続けていました。

 二十六歳の時、ピサ大学の教授となりました。
 物の性質や動きなどについて一所懸命研究しました。

 当時の学校では、アリストテレスという学者の考えが絶対に正しいと教えられていました。
 アリストテレスは、今から二千三百年以上も昔の学者です。
 アリストテレスは、次のような考えをもっていました。
 「重い物が落ちるスピードは、軽い物が落ちるスピードより速い。」
 しかし、ガリレイは研究の結果、この考えに疑問をもちました。
 そして、アリストテレスのこの考えは間違いであると発表したのです。

 しかし、ピサ大学の教授たちは、アリストテレスの考えに逆らうガリレイに腹をたてました。
 
 ガリレイはとうとう、多くの人の前で、どちらの考えが正しいか実験することになりました。
 ガリレイは「ピサの斜塔」の階段を上りました。下には、たくさんの人が見ています。ガリレイをばかにして笑う声も聞こえました。

 ガリレイは頂上のバルコニーに、五キログラムと五百キログラムの二つの鉄の球を並べました。
 「負けてもいい。事実にしたがおう。」
 そう思うと、二つの球を同時に落としました。

 二つの球は、全く同時に地面に着きました。ガリレイが正しかったのです。
 しかし、「今のは目の錯覚だ。」と言い出す人もいて、ガリレイの考えは認めら
れませんでした。

 ここでガリレイを認めてしまえば、アリストテレスの考えを信じてきた大勢の学者が間違っていたことになるからです。ガリレイはいやがらせを受けました。

 しかし、ガリレイはそのようなひどい態度に負けませんでした。
 「ピサ大学で学べることはもうない。」と考え、パトバ大学の教授となりました。そこでは、前より自由に物事を考え、調べ、自分の考えを発表しました。

 ガリレイは、その後も、事実から学ぶ大切さを多くの人に伝えました。

 ★道徳副読本「心つないで」(教育出版)に掲載されている『ガリレオ・ガリレイ』の文章を平易に書きかえたものです。