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北 方 領 土

小林 義典 【TOSS SANJO】

択捉,国後,色丹,歯舞のいわゆる北方領土は,我が国固有の領土である。
江戸時代以前から既に日本人がそこで生活をしていた。
1854年,日露和親条約によって,北方領土は国際的にも日本の領土として認められることになる。
しかし,1945年8月,日ソ不可侵条約を一方的に破棄して日本に攻め込んできたソ連軍により,北方領土は奪われた。

国境や領土は,国同士の条約によって決まる。
大東亜戦争中の〈カイロ宣言〉,終戦間際の〈ポツダム宣言〉を見ても,
北方領土が一貫して我が国の領土であることは明確である。
日本の子供たちにこの事実を伝えたい。

   本実践は,谷和樹氏『「北方領土」の授業で「日本人の気概」を教える』の追試である。

★谷和樹『「北方領土」を授業するサイト』
TOSSインターネットランド(Toss商標)
http://www.tos-land.net/ ナンバー検索 1143053


上記サイトには,授業プランが複数アップロードされている。
授業プランの他にも,
「北方領土を深く考える」講座の論文,
「授業で使えるおすすめホームページ一覧」
などが掲載されていて,大変参考になる。

    ☆谷和樹氏の授業は,次の点で優れている。

1) 我が国にとって大変重要な今日的な課題を授業化している。
2) 「日本の領土」の範囲を問うことから授業を開始し,子供の知的関心を引いている。
3) 日本の北端:択捉島の都道府県名が不明確な点に注目させている。
   子供は「はてな?」と思い,授業の中に自然と身を入れてしまうことになる。
4) 国同士の平和条約によって国境や領土が決まることを,「日露和親条約(1854年)」を
   提示することで自然な流れの中で教えている。
5) 新聞記事や古地図,国際条約などの資料が畳みかけるように提示される中で,
   「北方領土」が日本の領土であることが明確になっていく。

若干変更した部分を以下に記す。

1) 谷和樹氏の授業プランTとUの両方を組合せた。
2) 「国境」についての用語説明を加えた。
3) 「国境」を越えて無断で外国の領土に入ったらどうなるか,の問いを挿入した。「国境」問題を考える必然性を子供たちに与えるためである。
4) 「正保御国絵図」は提示し,「江戸時代には既に日本人が北方領土に住んでいた」ことを簡単に説明するだけとした。
5) 安政元年の「日露和親条約」から1945年のポツダム宣言受諾までの時間的経過を把握させるために,簡単な年表を示した。
6) 〈日露和親条約〉〈カイロ宣言〉〈ポツダム宣言〉はノートに書き写させた。授業後も繰り返し読む必要があると考えたからである。

「領土問題」は子供にとって理解しにくい。

内容理解を図るため,webワーク(O.5MB)を作成した。


   ◆←この印はクリックのタイミングです。


【発問】(◆日本の領土の地図を提示 ◆沖ノ鳥島の写真を提示)
    日本の一番南にある島は何という島ですか。

【発問】(◆「沖ノ鳥島」と提示)
    沖ノ鳥島です。都道府県でいうとどこになりますか。 
    近くの人と確かめ合ってもいいですよ。

【説明】(◆「東京都」と提示)
    正解は東京都です。

【発問】(◆南鳥島の写真を提示)
    日本の一番東の島は何という島ですか。

【説明】(◆「南鳥島:東京都」と提示)
    南鳥島。東京都です。

【発問】(◆与那国島の写真を提示)
    日本の一番西は。

【説明】(◆「与那国島:沖縄県」と提示)
    沖縄県の与那国島です。

【発問】(◆択捉島の写真を提示)
    日本の一番北は。

【説明】(◆「択捉島」と提示)
    択捉島です。
     (◆「日本の領土」と提示)
    このように,日本の国の範囲を日本の「領土」といいます。「領土」言ってみましょう。さんはい。
    (◆「国境」を提示)
    国と国の領土の境目を「国境」と言います。「国境」言ってみましょう。さんはい。

【発問】国境から先へは,自由に行けるのですか。

【発問】相手の国の許可をもらわずに国境を越えて,その国の領土に入ったらどうなりますか。

【説明】その国に身柄を拘束され,強制送還されます。勝手に外国の領土に立ち入ることは禁じられています。

【説明】日本の領土に話を戻します。択捉島が日本の一番北なのですね。択捉島は,日本で一番大きな島です。

【発問】2番目に大きな島は何という島ですか。

         「沖縄本島です。」
         「佐渡島です。」

【説明】 (◆国後島の写真を提示)
     2番目に大きな島は択捉島のすぐ南隣にある国後島です。


【説明】(◆北方領土の白地図を提示)
    択捉島,国後島,色丹島,歯舞諸島,この4つの島を北方領土と言います。 

【指示】「北方領土」とノートに書いてごらんなさい。

【指示】(白地図を配付)
    書き終えたら,白地図からこの4つの島を探して,赤鉛筆で色を塗っておきなさい。

【説明】(色塗り作業中に説明)
    歯舞諸島はたくさんの小さな島の集まりです。一番西の貝殻島は,日本で本土から一番近い島です。北海道の根室から3.7kmしかありません。


【発問】(◆4択問題を提示)これらの島には,今,日本人が何人位住んでいるのですか。
      1) 約   100人  ( 3人)
      2) 約 1,000人  (13人)
      3) 約10,000人  ( 9人)
      4) その他       ( 1人)

【説明】(◆「0人」と提示)
    これらの島に,日本人は一人も住んでいません。
    (◆「昭和20年→日本人17,291人が住んでいた」と提示)
    今から60年ほど前には,17,291人の日本人が住んでいました。今は,ロシアの人が住んでいるのです。

         (「0人」という答えに,子供たちはおぉっ!と声を上げる。)


【説明】(◆平成10年11月13日付『朝日新聞』の記事を提示)
    平成10年に小渕元首相はロシアを訪れました。小渕元首相とロシアのエリツィン元大統領が写っています。

【発問】(◆「国境」にアンダーライン)
    その時の一番大きな交渉のテーマは何だったのですか。ヒント。漢字2字です。

       「国境についてです。」

【説明】国境。日本とロシアの国境をどこにするか,が交渉のテーマでした。
    (◆「北方領土」にサイドライン)
    この北方領土が問題となっているのです。


(◆北方領土の地図を提示)
【発問】日本は国境がどこだと言っているのですか。

       「択捉島の上です。」

【指示】 (◆日本の主張する国境線を提示)
     白地図で,択捉島と得撫島の間に,赤鉛筆で線を引いておきなさい。

【発問】ロシアは,国境をどこにすると言っているのですか。近くの人と話し合ってごらんなさい。

【指示】予想でいいです。鉛筆で,線を引いてごらんなさい。


【説明】(◆ロシアの主張する国境線を提示)
    これは,ロシア製の地図です。ここから北,こちら側が全部ロシアの領土というふうに記してあります。


【説明】(◆歴代首相とロシア大統領の写真を提示)
     さっき新聞で見たような,国境をどこにするかという交渉は,実は何年も何年も続いています。
     ロシアと日本,どちらの主張が歴史的にみて正しいのでしょうか。


【説明】(◆「正保御国絵図」を提示)
     これは,江戸時代の初め,1644年頃に日本人が書いた北海道の地図です。
     この地図には北方領土が書かれています。北方領土が書かれている地図では一番古い物です。
     ロシア人が同じ北方領土を書いた地図で一番古いのは1713年のものです。

【説明】この頃から北方領土にはたくさんの日本人が住んでいました。江戸幕府は,武士をここにおいて,北方領土を守っていました。
     しかし,この頃は,国同士の法律,国際法や条約で国境が決まっていたわけではありません。


【説明】(◆白地図を提示)
    日本とロシアの国境が国際的な条約で決まったのは1854年,江戸時代の安政元年のことです。 「日露和親条約」を結びました。
    日本が開国し,アメリカやイギリスとの国交を始めた年です。

【発問】この時,日本とロシアの国境は,図のABCのどこに決まったと思いますか。Aだと思う人?B?C?(挙手させる)


【指示】(◆「日露和親条約」の第2条を提示)
    追い読みをします。「日露和親条約」はい。「第2条」はい。
    「今より後,」はい。「日本国とロシア国との境,」はい。「択捉島と得撫島との間にあること。」はい。

【発問】「今より後」の「今」とは,西暦何年のことですか。

【発問】1854年より後,「国境」をどこにすると書いてありますか。

【説明】国境はBに決まったのですね。このように,国と国との国境や領土というのは,国同士の平和条約によって決まるのです。
    日本が国際社会にデビューした時,北方領土は日本固有の領土として認められたのです。

【指示】ノートの「北方領土」と書いた下に,「1854年→日本の領土」と書きなさい。書き終えた人は,日露和親条約をノートに書き写します。


【説明】それから91年後の1945年,日本は戦争に負けました。8月15日のことです。
    8月14日に,ポツダム宣言という文書を日本が受け入れて,戦争に降服したのです。

【説明】ところが,ロシアは8月28日に択捉島に上陸し,武器を捨てていた日本軍の前で択捉島を占領してしまいました。
    (◆「8月28日→ソ連がエトロフ島を占領」と提示)
    当時,ロシアはソビエト社会主義連邦共和国という国でしたので,ここではソ連と書いておきます。

【説明】さらに,9月1日には,国後島と色丹島にも上陸して占領しました。
     (◆「9月 1日→ソ連が国後島,色丹島を占領」と提示)

【説明】9月2日には,日本はミズーリというアメリカの船の上で降服文書に調印しました。
     (◆9月 5日→ソ連が歯舞諸島を占領」と提示)
     でも,その次の日の9月3日に,ロシアは歯舞諸島に上陸し,9月5日には北方領土を全て占領しました。

【指示】「1945年,ソ連が北方領土を占領」とノートに書きなさい。

【説明】この時,日本とソ連はお互いに戦争をしないという条約を結んでいました。
     しかし,ソ連はその条約を破って,既に降服していた日本の北方領土を占領してしまったのです。
     これは,日本が戦争に負けたのだから仕方がないのでしょうか。

【指示】戦争に負けたのだから仕方がない,と思う人?

【発問】ソ連の行為をどう思いますか。

【説明】国際的な条約には,どのように書いてあるのか見てみます。
    (◆「カイロ宣言」を提示)
    追い読みです。「1943年」「カイロ宣言」
     「1914年の第一次世界大戦の開始以後に,」「日本が奪い,」「占領した太平洋の島々を剥奪(はくだつ)する。」
    カイロ宣言は,戦争に勝つことになるアメリカとイギリスと中国が作ったものです。
    これには,1914年以後と書いてあります。

【指示】(◆「1854年」の部分を強調)
    気付いたこと,思ったことをノートに書いてごらんなさい。書いた人からその場に立って,教室の真ん中を向いて発表しなさい。

【指示】カイロ宣言をノートに書き写します。


【説明】(◆「ポツダム宣言 第8条」を提示)
    2年後です。追い読み。「1945年」「ポツダム宣言」「8条」「カイロ宣言の条項を守ること」
    日本が降服した時のポツダム宣言には,カイロ宣言を守れ,と書いてあります。ポツダム宣言はソ連も認めている条約です。

【指示】ポツダム宣言をノートに書き写します。

【説明】1951年9月8日に,日本はサンフランシスコ平和条約を結びましたが,ソ連はこの平和条約に調印しませんでした。
    この時,日本の代表はこんなことを言いました。
    (◆吉田茂の発言「日本開国の当時,ロシアは北方領土が日本領であることを認めていた」を提示)
    「日本開国の当時,千島南部の2島,択捉,国後の両島が日本領であることは,ロシアも反対しなかったのであります。」
                                                                      (吉田茂全権大使の発言を要約)


【説明】(◆ダレス元国務長官の言葉「歯舞諸島,色丹島は北海道の一部であり,択捉,国後は日本の領土である」を提示)
    また,アメリカは1956年にこんなことを言いました。
    「アメリカは,歴史上の事実を注意深く調べた結果,択捉,国後の両島は,北海道の一部である歯舞諸島,色丹島とともに,常に日本の領土の一部をなしてきたものであり,正当に日本の主権下にあるものとして認められなければならないとの結論に達した。」
                                                             (ダレス国務長官「日ソ交渉に対する米国覚書」)

【指示】今日の勉強で思ったことをノートに書きなさい。


子供たちの感想


【参考資料】
◆谷和樹 『「北方領土」を授業するサイト』TOSSインターネットランド(Toss商標) http://www.tos-land.net/ ナンバー検索 1143053
◆北方領土問題対策協会ホームページ http://www.hoppou.go.jp/top.htm
◆首相官邸ホームページ http://www.kantei.go.jp/
◆外務省ホームページ http://www.mofa.go.jp/mofaj/

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