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『あなたは必要とされている人だ』
カンボジアで殉職した中田厚仁さんの志

                    小林 義典 【TOSS SANJO】

世界の平和を心から願い,平成4年7月,国連ボランティアとして
中田厚仁さんはカンボジアに向かう。
公正な選挙を実現させるため,懸命に村々を回った。
川にぶつかればフェリーを使い,
フェリーが行けなくなるとカヌーを使い,
カヌーが使えないときは泳いで村々を回り,公正な選挙について説き続けた。

平成5年4月8日殉職。25歳の時。
中田厚仁さんが殉職された地に「アツヒト村」という新しい村が生まれ,
「ナカタアツヒト小学校」が創設される。

このような熱い志をもった日本人がいた。
是非,子供たちに知らせたいと願い,
授業プランをつくらせていただいた。

Webワーク

(アジアの地図を提示)

産經新聞社 http://www.sankei.co.jp/map/asia.html


【指示】カンボジアを見つけなさい。
    見つけた人は「見つけました。」と言います。
【説明】今日はカンボジアであったお話をします。
    カンボジアでは長い間争いがありました。今も所々に地雷が残っています。その数は一千万個ともいわれています。

(絵本『地雷ではなく花をください』を提示)

【発問】この本を読んだことがある人?どんな内容ですか。

「たくさんの地雷があって,そこに住んでいる人が地雷を踏んでしまって,片足がなくなったりして困っています。
 この地雷を一つずつ取り除いて,その代わりに花を植えていきましょう,というお話です。」

(中田厚仁さんの写真を提示)
 中田武仁著『息子への手紙』朝日新聞社(グラビア頁) 
 
【説明】この方の名前は「中田厚仁さん」です。(板書)
    まだ争いが盛んであった平成4年7月にカンボジアへ向かいました。
    
【発問】何をするために行ったと思いますか。

「地雷を取り除くためです。」
「地雷探知機を売るためです。」

【説明】(「選挙」と板書。)カンボジアで行われる選挙を成功させるためでした。
【発問】「選挙」とは何をどうすることですか。

「代表者を決めるために,みんなで投票することです。」

【説明】カンボジアでは長い間内戦が続きました。それで,選挙がずっと行われていませんでした。
    ですから,カンボジアの人たちは「選挙」の意味がよく分からず,投票のやり方も知らない人が多かったのです。
【説明】(「国連ボランティア」と板書。)中田厚仁さんは国連ボランティアとしてカンボジアに向かいました。
    国連ボランティアの人たちは,カンボジアの人たちに「選挙」の素晴らしさを説明しました。
    そして,「総選挙」の日には投票所に行って投票するように呼びかけたのです。
【発問】国連ボランティアの人達の活動は,スムーズにいったと思いますか。

「言葉が通じないので,大変だったと思います。」

【説明】(「ポルポト派」と板書。)「選挙」が行われることを妨害する人たちがいました。「ポルポト派」と呼ばれる人たちです。
    「選挙」が行われて正式に選ばれた人が政治を行うことになると,「ポルポト派」の人たちの力が弱まるからです。
    「ポルポト派」の人たちは機関銃などで武装していました。そして「選挙」妨害のためには手段を選びませんでした。
    「選挙」を行おうとする側の人たちを次々と殺していたのです。
    中田厚仁さんら国連ボランティアの人たちの活動は命懸けでした。
(中田厚仁さんが友人と一緒に写っている写真を提示)
中田武仁著『私は国連ボランティア』中央公論社(表紙の写真)

【説明】でも,「自分たちは平和のために必要な活動をしているのだ。」という使命感をもって元気に活動しました。
    選挙人登録のために,自動車村々を回りました。
    しかし,日本のように交通が整備されているわけではありません。
    川にぶつかればフェリーを使って村々を回りました。
【発問】フェリーが行けない所はどうやって行ったと思いますか。

「泳いだと思います。」
「丸太をヒモでしばって頑丈なイカダを作って車をのせて川を渡ったと思います。

【説明】カヌーを使って,村々を回ったそうです。
【発問】カヌーが使えないときは,どうやって行ったと思いますか。

「泳いで回ったと思います。」

【発問】中田厚仁さんはその後どうなったと思いますか。

「風邪を引いたと思います。」
「病気になって高熱が出たと思います。」
「高熱が出て村人に助けられたと思います。」

(カンボジアの写真を提示)
中田武仁著『私は国連ボランティア』中央公論社(18頁)

【説明】国連ボランティアをする場所はいくらでもあったのです。
    しかし,中田さんは最も危険な地域であるコンポントムを希望しました。
    そして,あと2か月弱で選挙が行われるという4月8日,「ポルポト派」兵士によって殺害されました。
    25歳でした。
(殺害された場所の写真を提示)
中田武仁著『私は国連ボランティア』中央公論社(31頁)

【説明】国連ボランティアの人たちの安全を守るための会議に出席するために車で移動している時でした。
    「ポルポト派」の兵士に囲まれ,後頭部に銃を突きつけられ殺害されました。
    無線で伝えられた最後の言葉は,“I'm dying”(死んでいきます)だったそうです。
【発問】今,感じていること,どんなことでもいいです,聞かせてください。

「死を覚悟して活動して凄いと思いました。誰も行かない所へ行くなんて。」
「命懸けの活動で凄いです。犠牲になってしまったと思いました。」
「武器を持って囲むなんて,ポルポト派の人は悪い奴だと思いました。」
「ポルポト派が憎いです。選挙に出ればいいのに。」

【説明】中田厚仁さんが亡くなった翌月5月23日,総選挙が行われました。
    カンボジア全体での投票率は90%でした。
    大変高い数字です。
    大成功でした。
【発問】中田厚仁さんが担当していた,最も危険だった地域の投票率はどの位だったと思いますか。

「10%位」
「100%」
「40%位」

【説明】99.99%という,考えられないような高率でした。
    開票作業をしていたら,投票箱の中からいくつもの手紙が出てきたそうです。
    投票用紙に混じったくしゃくしゃになった紙です。
    厚仁さんの無念の死を悼み,温かい人柄を慕い,厚仁さんの誠実な活動に感謝の気持ちを述べ,
    また,日本にいる厚仁さんのご家族の心を思いやる内容でした。

    投票箱には投票用紙以外のものを入れることは禁止されています。
    しかし,カンボジアの方々は選挙の立会人に見つからないように苦心して手紙を入れたのです。
【説明】中田厚仁さんが殺害された場所は,事件当時ほとんど無人の地だったそうです。
     しかし,総選挙が終わりカンボジアが新たな一歩を踏み出してから,この地に人が集まってきました。
     そして,平成7年に新しい村を建設しました。
【発問】新しい村ですから,名前をつけなくてはなりません。なんという名前だと思いますか。

「中田厚仁村」
「中田村」
「厚仁村」

【説明】公式には「ナカタアツヒト・コミューン」です。
    村人達は「アツ村」と呼ぶそうです。
【説明】村の歌も出来ました。一つ紹介します。
     (最初と最後の連だけ,教師が朗読した。)
♪『アツヒト村の歴史』  作詞作曲:アオ・チャン 歌:フット・シーメン
 新たに発展した厚仁の村 地方にある田舎の村である
 森の中に生まれた新しい村 みんなの手によって作られた

 93年の出来事を思い出せ 地域一帯は森 地雷でおおわれていた
 旅人はとても恐れた そこには山賊(さんぞく)がひそんでいた

 4月8日のこと おば おじ 祖母 祖父はある事件のことを聞いた
 道の途中でいつも恐怖におびえていた 銃撃(じゅうげき)の音を耳にして

 その時 厚仁は殺された 痛々しく苦しんでいた
 学校の前にあるクロラッニュの記の近くで その事件は歴史に刻まれた

 彼は死んだが 彼の名前は生き続けている 石碑に刻まれている
 学校の中庭にその石碑が置かれている クメール人に語り続けている

 新しいコンクリートの家が作られた 種々の樹木を植える
 カンボジアの発展のために それが彼の願いである

 クメール人よ 記憶にとどめよ これは心の平和である
 彼に学び 従えよ わたしたちの幸福は彼の力による
【説明】アツ村の主な産業は農業です。
    自給自足の生活です。
    現金収入はわずかで,電気,ガスはありません。

    新しい村が誕生して1年後,カンボジアは洪水に見舞われました。
    村人がたくわえていた米は全て流されました。
    このニュースを聞いて,中田厚仁さんのお父様の中田武仁さんが日本全国に募金を呼びかけました。
    たくさんのお金が集まりました。
    「このお金を,村の人たちが食糧を買う足しにしてください。」と言って渡しました。
    村人は喜んで受け取りました。

    ところが,武仁さんの予想に反することを村人達は言いました。
【発問】村人は何と言ったと思いますか?予想です。思いついたことを言ってごらんなさい。

「堤防を高くしたい。」
「中田厚仁さんの銅像をつくりたい。」
「洪水で被害にあった所を元に戻したい。」
「勿体なくて,つかえません。」


(ナカタアツヒト小学校の写真を提示)
中田武仁著『私は国連ボランティア』中央公論社(66頁)

【説明】こう言ったのです。
「私たちは今,文字通り,喉から手が出るほどお米がほしい。
お腹を一杯にしたい。
けれども,これは我慢する。
私たちは,中田厚仁さんが世界市民として生きられた,
その志を,そして日本の大勢の皆様の温かい心を,
私たちの子供たち,孫たち,そして子々孫々に伝えていくために,
中田厚仁さんが息を引き取られた地に学校を作りたい。」

(『厚仁と平和』の歌詞を提示。一番最後の連だけ教師が朗読。)

♪『厚仁と平和』 作詞作曲・歌:ジン・ホアン
 兄弟よ 姉妹よ 聞いて あの場所について語りたい
 美しい厚仁の村 これは中田の労作(ペンテイグ)である

 山村へと連なる道の両脇には樹木は立ち並ぶ クメール人はそれを見守る
 みんなで力を合わせる 将来の生活のために家を建てる

 これからの将来が不安である 子供のために樹木を植える
 この村はわたしたちを温かく迎え入れてくれる 繁栄に向けて

 新しい学校を希望する 未来は子供にとって明るいものである
 みんなが見守る 学校の広場は美しい

 新しいコンクリートの家と中庭 種々の野菜が植えてある
 新しい発展の村が作られた みんなで力を合わせて

 過去のとても悲しい出来事を思い出せ とてもあわれな厚仁氏
 彼こそが英雄である すべては平和のために犠牲にされた
【発問】「学校をつくりたい。」と言った村人たちを,どう思いますか。

「中田厚仁さんにとても感謝しているということが分かりました。」
「中田厚仁さんの気持ちを,子供たちに伝えていきたいという気持ちが強いと思いました。」

【説明】中田厚仁さんは,小学3年生の時にお父様の仕事の関係でポーランドへ引っ越しました。
    そこで,1年半アメリカン・スクールへ通います。
    様々な国の子供たちが集まる小学校でした。
    会話や授業は全て英語です。
    厚仁さんは活発で,自分の意見をどんどん述べる人気者だったそうです。
    多くの国の友達と触れ合う中で,みんなが平等であり,仲良くすることが大切だと言うことを学びました。
    【説明】日本に帰り,小学校を卒業しました。寄せ書きにこう書いたそうです。

「自分は国連の仕事をしたい。
       できれば大使になりたい。」
 
【説明】その後,日本で大学まで進学しました。
    しかし,アメリカン・スクール時代のいきいきした姿は消えていったそうです。
    お父様は心配し,厚仁さんが大学3年生の時,アメリカの大学に留学をすすめました。
    アメリカで,厚仁さんはまたいきいきした姿を取り戻します。
    それは,大学の先生からの次の言葉がきっかけだったそうです。
    この言葉で,厚仁さんは自分の志をたてたといいます。
「あなたは何かを求めてこの大学にやってきたのかもしれない。それは当然のことでしょう。
 しかし,あなたが何かを求めているのと同じように,大学もあなたに何かを求めているのです。
 あなたは必要とされている人であり,求められている人であることを忘れないでください。
【説明】この世に必要とされていない人はいない。
    みな必要とされ求められている存在なんだと気がついたのです。


【指示】この時間に気づいたこと,分かったこと,思ったことなど何でもいいです。ノートに書いて見せてください。

(子供たちが感想を書いている間,アツ小学校の授業の様子の写真と『発展するアツヒト村』の歌詞を提示)

♪『発展するアツヒト村』 作詞作曲・歌:アオ・チャン
 新しい厚仁の村 絵に描いたように美しく
 わたしは本当に愛しています 何百年もあなたのことを考えている

 山村へと連なる道 覚えておきなさい
 村人は農業の生活を送っている あらゆる種類の農作物を耕し 栽培する
 
 発展地域の中の新しい学校 その学校の名はアツヒトである
 子供はかたまりながらぞろぞろ歩く 勉強への意欲はとても強い

 中央には迎賓館(げいひんかん)がある それは美しく完備されている
 夜に明かりを灯す 旅人は立ち止まってのぞきこむ

 すべては実現された 使節のおかげで
 クメール人の指導者は 自分の心身のすべてを捧げた

 わたしは祈りをささげる 遠く離れたかなたから
 わたしたちを支え 見守ってくれる 幸せと長い人生

 最後に祖先に祈りをささげる 全てのクメール人
 平和を愛せよ 永遠に・・・・・・

「中田厚仁さんは,カンボジア全体に平和をもたらしてくれたと思う。」
「自分の命を犠牲にしてまでやったから,強い心の持ち主だと思った。」
「どうして学校をつくるのにお金をつかったのだろう。
「カンボジアの人達に感謝されて,安らかに眠っていると思います。
「人のために何かを一所懸命やることはいいことだ。
「厚仁さんはいろんな国の人に好かれていたんだなぁと思った。
「厚仁さんの名前をつけた村があるなんてすごい。
「中田さんはすごい人だと思う。カンボジアのためにいろんなことをやり遂げた。
「ナカタアツヒト村というのもできたなんて,とても大切な人なんだと思う。
「中田さんは一番危ない所まで行って殺害されたけど,カンボジアの人やコンポントムの人は,
  新しい村や学校,歌をつくってとても親切だと思った。」
「人はみんな必要とされている。人それぞれの個性だから。
  人間みんなが中田厚仁さんみたいに,人のために頑張れる人になってほしい。」


【授業をしてみて】
●説明が長過ぎる。途中で集中力を欠けさせてしまった。言葉を削るべきである。
●難しい言葉が多い。もっと分かりやすく。
●「あなたは必要とされている人です。」というメッセージが全員に伝わらなかった。


【参考資料】
■中田武仁『息子への手紙』朝日新聞社
■中田武仁『私は国連ボランティア〜息子厚仁の遺志を継いで〜』中央公論社
■東大阪河内ライオンズクラブ『結成40周年記念アクティビティ』  http://www.pure.co.jp/~kawachi/activity40/activity40.htm