/小学校/道徳/4年生以上/日本人/

TOSSランドへ

                                               ホームへ


豊田 佐吉(とよだ さきち)

                     小林 義典 【TOSS SANJO】

明治中頃、新しい産業の中心は、繊維産業でした。
「バッタン機」「チャンカラ機」と呼ばれた機械で細々と布を織っていたこの時代。
しかし、豊田佐吉が開発した「豊田式動力織機」によって
日本の基幹産業の一つである紡績業は大量生産の道が開かれ、
ようやく発展の緒につきました。
今から100年以上前に日本人がこのような偉大な発明を成し遂げたことを
子供たちに知らせたいと思い、授業プランをつくりました。


★「豊田式木製人力織機」の画像を提示(『湖西市に生まれた偉人、豊田佐吉。豊田佐吉記念館』
     http://www.asmo.co.jp/001kou/06toyota/frame.htm )

【発問1】これは何をする時に使う物だと思いますか?(列指名)
【説明1】そうです。これは布を織る機械です。木で出来ています。
     この機械が発明されるまでは、布を織るのは大変な仕事でした。
     昔は糸を一本一本継ぎ足しては、トンカラリ、トンカラリと布を織ったのです。
     あの「鶴の恩返し」のお話に出てきますね。
     夜遅くまで何日もかけて織り上げても、たいしたお金になりませんでした。
     しかし、この機械の発明で、質のいい布が素早く出来るようになったのです。
【発問2】これは、日本人が発明しました。いつ発明されたと思いますか?(選んだ番号に挙手させる)
      @明治24年(1891年:今から110年前)
      A大正14年(1925年:今から76年前)
      B昭和24年(1949年:今から52年前)      

・@明治24年  3人
 A大正14年  6人
 B昭和24年 11人

★「豊田佐吉」の画像を提示(トヨタ産業技術記念館 http://www.tcmit.org/sub5.html )

【説明2】最初に示した機械は「豊田式木製人力織機(とよだしきもくせいじんりきしょっき)」といいます。
     豊田佐吉という方が明治24年、今から110年前に発明した物です。
     大変な苦労の末、発明されました。
【説明3】明治24年というと、こんな時代です。
     ★明治時代の写真を提示
     (『とうよこ沿線フィルムライブラリー』http://www.ynet.co.jp/touyoko/seikatu.html )   

      (・「明治時代後期の伊勢佐木町、野沢屋(現横浜松坂屋別館)付近」提示)
       これは明治時代終わり頃の横浜の近くの町並みです。
       今とどこが違いますか?

      (・「明治時代にいち早くチョンマゲを切った綱島の池谷義廣さん」提示)
       これは明治5年、ちょんまげを切ったばかりの時の写真です。
       まだ刀をさしていますね。

      (・「明治40年5月、碑(いしぶみ)尋常小学校(現目黒区立碑小学校)4年生の進級記念写真」提示)
       みなさんと同じ4年生の写真です。
       5年生に進級するときの記念写真です。

      (・「明治後期、荏原郡衾(ふすま)村立小当時の八雲小学校、その朝礼」提示)
       明治の終わり頃、小学校の朝会の時の様子です。
       何をしていると思いますか。

★「木鉄混製動力織機」の画像を提示
(『湖西市に生まれた偉人、豊田佐吉。豊田佐吉記念館』http://www.asmo.co.jp/001kou/06toyota/frame.htm) 

【説明4】明治時代の様子を写真で少しだけ見てみました。
     豊田佐吉さんは「豊田式木製人力織機」を発明した6年後の明治29年には
     石油を原料として動くこの織機を発明しました。
             木と鉄を使って作った機械です。人力でなく、動力で自動的に動く機械です。

★「無停止ひ換え式自動織機」の画像を提示
(『湖西市に生まれた偉人、豊田佐吉。豊田佐吉記念館』http://www.asmo.co.jp/001kou/06toyota/frame.htm

【説明5】そして、大正13年、途中で糸がなくなっても自動的に糸を継ぎ足し織り続けることのできる自動織機を発明しました。
【発問3】さて、このようにどんどん新しい機械を発明した豊田佐吉さんのお仕事は何だったと思いますか?(列指名)

・布を織る仕事
・機械を作る人

【説明6】豊田佐吉さんは腕のいい大工さんでした。
     ですから、布を織る機械の発明は周りの人に大反対されました。
     しかも、夜もろくに寝ないで研究したため、まるで病人のようになりました。
     周りの人にきちがい扱いされ、相手にされなくなりました。
     失敗を重ねてお金もどんどんなくなっていきました。     
【発問4】でも、そんな豊田佐吉さんを理解してくれた方もいました。
     いちばん理解してくれた方は誰だと思いますか?(列指名)

・布を織る所で働いている人 
・お父さん  ←お父さんは腕のいい大工さんでした。佐吉が機械の発明に時間を使うことに大反対でした。
・お母さん

【説明7】そう、お母様です。
     周りの人達にどんなに反対されても、豊田佐吉さんのお母様はいつも励ましてくださいました。
     豊田佐吉さんは、最初に発明した機械のテストをお母様にしていただきました。
     その時に次のようにおっしゃっています。
『この改良はたごは、私一人の力でできたものではありません。母のおかげです。
 このはたごの一つの枠にも、一本の桁にも、母の祈りがしみこんでいるんです。
 これは母が生んだ子と同じです。第一番目に、母に織らせてください。』
【説明8】明治23年、最初の織機を発明する前の年です。
     東京で勧業博覧会が開かれました。
     勧業博覧会では、世界中の農業や工業の進んだ技術を見ることができました。
     豊田佐吉さんは東京に泊まり込んで、毎日朝から晩まで世界の機械を見て回りました。
     15日目に監視員の方に、
     「君は毎日ここで何をしているのかね。」
     と声をかけられてしまいました。
     豊田佐吉さんはこう答えました。
     「機械の動きをみているんです。分からないことがたくさんあるので・・・・。」
     すると、監視員さんはこう笑いました。
     「分からないところがあるって、ハハハハ・・・。
     そりゃ当たり前さ。これは皆、外国人が作った機械なんだよ。
     日本人には考えつかぬものばかりさ。」
【発問5】さて、監視員さんにこう言われて、豊田佐吉さんは何と言ったと思いますか?

・日本人をばかにするんですか。
・日本人にだって出来るはずだ。

【説明9】豊田佐吉さんは、次のようにいいました。
「日本人には考えつかないですって!日本人は皆、何もできないバカだと言うんですか!。」
     たいへん激しく怒ったので、監視員さんは返す言葉がなく黙ってしまったそうです。
     ・・・しかし、実際、勧業博覧会場にあるもので、日本人が作ったものは何もなかったのです。
     そんな時代に豊田佐吉さんは努力を重ねて次々と新しい自動織機を作りました。
     そして、ついには世界一の織機を作り上げ、世界の織機王と呼ばれるようになりました。
     
【説明10】当時世界一といわれていたイギリスのプラット兄弟会社の重役が、
     わざわざ日本の豊田さんの会社を見学に来ました。
     そして、プラット兄弟会社の機械より優れていることを認めたのです。
     プラット兄弟会社の重役は豊田さんにこんな質問をしています。
     「だが、どうして、こんな立派なものを作り上げることが出来ましたか。
      失礼ながら、あなたは日本の工科大学を卒業しただけではありますまい。
      もしや、わが英国の大学で研究なさったのではありませんか。」  
【発問6】豊田さんは、何と答えたと思いますか?(列指名)
【説明11】豊田さんは、次のように答えています。 
いやいや、わたしは貴国どころか、日本の大学も、いや高等学校、中学校さえもいかなかったのです。独学です。
     この発明により日本の織物生産が盛んとなりました。
     一人で50台の織機を受け持つことができるくらい性能の高い機械でした。
     500台の織機がどんどん動いていても、10人で受け持てたのです。
     さらに日本製の織布は品質が大変よかったので外国にどんどん売れました。
     貧しかった日本の国が豊かになっていく土台が出来上がったのです。
【発問7】豊田佐吉さんがやったことを、どう思いますか?
【指示1】自分の考えをノートに書いてごらんなさい。

・最後まであきらめないで、すごいと思った。
・反対されてもやめないというのはすごいと思った。

【発問8】この発明で得たお金を資金の一部として豊田佐吉さんの息子さんが会社を始めました。
     豊田喜一郎さんとおっしゃる方です。
     今は何という会社になっていると思いますか?たいへん有名な会社です。

・布を作る会社?

【説明12】正解は、あのトヨタ自動車です。
     トヨタのクルマは、世界中いろいろな場所で走っています。
【説明13】豊田喜一郎さんはお父さんである豊田佐吉さんにこう言われていたそうです。

★『ヒストリー 豊田喜一郎のあゆみ 第1話』を提示( http://www.tcmit.org/sub5.html

「わしは織機をつくってお国に尽くした。お前は自動車をやれ」
【説明14】 「尽くす」というのは「力を惜しまずに働く」ことです。
      豊田佐吉さんは、織機づくりで日本のために力を出し切ったんですね。
      その後、続けてこのように言いました。
高級な外車を輸入するために、どれだけ金が外国に出ていくことか。
貧乏国の日本が、これではいかんな。安くて能率の高い国産車の製造は、
国のためになることだ。お前、やりなさい。
      当時アメリカはとてつもなく大きな工場で大量の自動車を作り、世界中に売っていました。
      そんな時代に日本で自動車工場をつくるのは大変な苦労が必要だったのです。
      しかし、今は世界のトヨタになっています。
      このように、日本人の努力は受け継がれ、発展を続けています。
【指示2】この時間に感じたこと、思ったことなどをノートに書きましょう。
     書き終わった人から私に見せに来ます。(発表させる)

 子供の感想


【授業をしてみて】(4年生に授業をした)
●豊田佐吉の努力の偉大さに気づかせるまではいかなかった。
 努力に関するエピソードをもっと集めて、それを具体的に描写できればよかった。


【参考資料】
■池田宣政『豊田佐吉』(世界伝記全集34)ポプラ社
■藤岡信勝『教科書が教えない歴史3』産経新聞社
■家庭読本編纂会『嵐の中の灯台』明成社
■『湖西市に生まれた偉人、豊田佐吉。豊田佐吉記念館』http://www.asmo.co.jp/001kou/06toyota/frame.htm
■『トヨタ産業技術記念館』 http://www.tcmit.org/sub5.html 
■『とうよこ沿線フィルムライブラリー』http://www.ynet.co.jp/touyoko/seikatu.html  
■『TOYOTA』 http://www.toyota.co.jp/index.html